高所登山への道すじ
幼少から始まり、多感な年ごろに様々な体験をさせてもらいました。
正直、今は亡き両親にもっと感謝の言葉というか、恩返しをしたかったなーと後悔してもし切れない想いがあります。
しかし、それが血となり肉となり今の自分がいて、両親への感謝の気持ちを体現するためにも、ひとりの個として自分らしい人生を歩んでいこうと強く思ったりもしています。
今日はそんな私が、なぜ高所登山という冒険にチャレンジするようになったのか?を少しお話ししますね。
旅はキッカケから始まる
どんな旅であろうと、何かのキッカケがあって人はどこかへ行くのではないでしょうか。
友達に誘われて出かけることもあれば、何かの記念で旅行に行くこともあるでしょう。いずれにしても「毎日のルーティンだから」と旅をする人は、そういないと思います。
私にとっても、どの旅もキッカケというものがあり、そのキッカケを始まりにして行動を起こしています。
高所登山という冒険にチャレンジすることも、一つのキッカケから始まりました。
アウトドア女子魂に火がついた!
そもそも山やの両親に連れられて、幼い頃から春夏秋冬問わず、あちこちの山へ連れて歩かれていました。
しかし大人になってからは、すっかり登山というものに興味を持たず、どちらかと言ったらシティガール(笑)←正真正銘、東京生まれの東京育ち
だったと思います。
2007年に大病をし、長い間の闘病生活を余儀なくされました。
その闘病生活が私の大きな舵切りとなり、身体の奥底に染み付いていたアウトドア女子魂に火がついたのです。
その後は体調を見ながら、都内近郊の小さな山から北アルプスなどの大きな山へチャレンジしたりと、あちこち出かけるようになりました。
そして…
屋久島縦走へ
2012年10月のこと。
兼ねてからお世話になっている小樽のガイドさんが企画する「屋久島縦走ツアー」に参加したのです。
淀川登山口から九州最高峰の「宮之浦岳」へ登り、永田岳を経て、新高塚小屋(無人)で一泊。翌朝「縄文杉」や「ウィルソン株」などを見て、もののけ姫で有名な「白谷雲水峡」へ抜けていくという、山中一泊二日のルートです。
このコースは完璧と言っていいほど素晴らしいルートでした。
何が一番良かったかというと、新高塚小屋は「縄文杉」から小一時間ほど上部にあります。普通の日帰りツアーの人たちが来る前の早朝の「縄文杉」を、独り占めというか新高塚小屋に泊まった人たちだけで独占できるからです。
その時の様子は克明にブログで書いていますので、よければこちらへどうぞ!
その3で縄文杉のことを書いてます。
ハプニングがキッカケに!
このツアーは初っ端から大きなハプニングがありました。
くしくも台風22号プラビルーンが迷走していて、屋久島に行けるどころか、東京からも出発できない可能性を含んでいました。
プラビルーンが鹿児島に向かっている中、私も鹿児島に向かうという事態。しかし、なんとか鹿児島まで着き、天候調査の結果、私が乗る便まで飛ぶということになり、屋久島へ滑り込むことができました。
ちなみに、そのあとは飛行機もフェリーも全て欠航。
しかしながら行けちゃいさえすれば、こっちのものです。なんたって、人が来れてないわけですから、ガラガラが期待できちゃうのです。
が!
しかし!
そうは問屋がおろさないのが人生!
な、な、なんとツアーを企画したガイドさんが、北海道からの飛行機に乗れずに(これは本人の大チョンボのため)、屋久島に到着できなかったのです。
という訳で、すったもんだのあげく。
初めてご対面したお二人と共に、ガイド不在のなか縦走するという前代未聞の事態になったのでした。
ガラガラでしかも台風一過の秋空は完璧というシチュエーション。
初対面で縦走という状況で、かなり緊張していましたが、逆にいろんなことを一緒に経験できたからか、心が通いあった時間でした。
そして下山した夜に、時を過ごしたお二人から「来年、インカトレッキングに行くんだけど、よかったら一緒に参加しませんか?」とお誘いを受けたのです。
インカトレックは、本で読んでいたので、いつか行きたいと思っていた場所。こんなチャンスは滅多に来ないと即決したのは、言うまでもありません。
インカトレックから高所登山が始まった
屋久島から帰った後は、約一年後に挑戦するインカトレックへの準備が始まりました。
この屋久島に参加していなかったら。
現地最高のコンディションじゃなかったら。
ガイドさん不在で力を合わせていなかったら。
声をかけてもらうことなく、高所登山にチャレンジするということは考えもしなかったからも知れません。
タイミングとは面白いものです。
あっ、ご本人の名誉のためにお伝えしておきますが、このガイドさんが、この先私たちを様々な高所へと導いてくれている人です(笑)
インカトレックなどなどは、また書きますね!