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英語ができない!話せない!けど自由と可能性を感じた15歳の夏
今日書きたいことは、13歳でヨーロッパ縦断旅行へと連れ歩かれた私の次なる海外経験です。
中学3年生の夏休みを使って、今度は「短期交換留学」というのに行くことになりました。
そもそも幼少の頃から交換留学生が常に家に滞在している環境だったし、兄や姉はどんどん海外へと出ていたので、私にとっても特別感はそんなになく、「ヘ〜そうなんだ、私また海外へいくのね」程度でした。
行くさきはアメリカのシアトルです。
確か、どこかの企業が募集した企画に参加した記憶がありますが、前回お伝えしたように、この時期のことをあまり覚えていないのです。
強烈に心に残っているのは、英語ができない!話せない!ということでした。
空港に着くと大勢のホストファミリーが迎えに来ていて、ドキドキとても緊張していたと思います。名前を呼ばれ3週間お世話になるファミリーと初対面をしたわけですが、ろくすっぽ挨拶もできなかった記憶があります。
ヤバイ!
まずい!
私この先どうなる??
かなり後悔しましたが、時すでに遅し…
しかしながら母親とはすごいものです。
こうなる私を見越してなのか?
その頃すでにアメリカの大学に留学していた兄に連絡をしていて、3日後くらいだったかな、その兄が私の様子を見にやってきてくれたんですよね。
何はともあれこれだけは覚えておけ!
と紙に書いてくれた言葉がこれです。
I am thirsty
I am hungry
I want to ~ ←強く望んでいることを言うとき
I would like to~ ←ちょっと控えめなとき
その紙を握りしめ、「なんとかこれで生き抜くんだ!」と、どれだけ力が沸いたことか。
そしてその後、兄は私を連れて自分の住む町(違う州だったので相当遠かった)に数日間一緒に行ったのです。
6歳年上の兄はすでに21歳で大学3年生。妹から見ると大人も大人です。遠い国で一人で生活しているし言葉はベラベラだし、とにかく凄いなぁ…と自分の兄ながらに尊敬していました。
その時どうやってそこまで行ったのか?どこに泊まったのか?など、全く記憶にないのですが、ただ一つ強烈に印象に残っていることがありました。
パイロットになりたく勉強していた兄の操縦するセスナ機に乗せてもらったこと。
だだっ広い空港の端の方にあった、それはそれは小さなセスナ機に乗り込んだ兄とわたし。
とっても狭くて隣にいる兄とは腕がぶつかりそうな距離。ヘッドホンをすると、何やら英語でやりとりをしている兄と管制官の全く理解できない会話が聞こえます。
ブルンブルンと羽が回り始め、ガタガタと走り始めたと思ったら、あっという間に飛び立ちました。
もう景色を見るどころじゃありません!
子供の頃、一緒に戦争ごっこをやったり、おそ松くんのシェーをやったりしていた兄が飛行機を操縦しているんです!
そしてあろうことか、「ちょっと操縦桿握ってみなよ」とか言っちゃって、私もその気になって目の前にある操縦桿を握ってみちゃったりして。
どうなったかって?
急に機首が下を向き始め、慌てて兄が操作をしました(これ今じゃ相当NGですよね)。
自由と可能性!
15歳という多感な時期。
見るもの、やること全てが自分の肉となり血となり、また一つ自分という個を形成していく出来事を経験させてもらいました。
ちょうどお盆です。
今は亡き両親と兄に、大いに感謝しながら過ごしましょう。