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宇宙に近い場所に立つということ〜南米最高峰アコンカグアで

2014年12月4日早朝
アンデス山脈にある南米最高峰・アコンカグアまであと少しという場所で、心身ともに疲弊しきった私がいた。

標高約6,960Mのアコンカグアは、アルゼンチンとチリの国境付近に位置し、世界七大陸最高峰(セブンサミッツ)のひとつである。
特別な登山技術が必要ではないが、7,000Mの標高を無酸素で登るので、体力含め高度順応や血液循環への対応など、しっかりとした対策や準備が必要な山である。
またビエント・ブランコ(白い嵐)と呼ばれるアンデス地方特有の悪天候の脅威もあり、登頂率は約30%という決して高くない数字が、難しさを物語っている。

その日から遡ること約半年前、2014年5月27日。
都内にある某病院にて、私は全身麻酔にて卵巣・卵管摘出手術を受けていた。
麻酔から目が覚めたとき、お腹への圧迫と傷の痛み、それに耐えるために呼吸器をつけ必死になってスーハースーハーしている自分がいた。


遺伝性乳がん卵巣がん症候群


話を進める前に、なぜ私がその手術を受けたのか、簡単に説明しよう。

2007年に乳がんを発症し、2度に渡る手術と5年間の薬物療法を受け、ようやく大きな治療が終わろうとしていた矢先の2012年のことである。
遺伝子検査により「遺伝性乳がん卵巣がん症候群」と診断され、そこからまた大きく人生が変わることとなった。

最近では遺伝子検査というのを、耳にする機会があると思うが、当時はまだまだ馴染みのないことだった。
世間に広まるキッカケはアンジェリーナ・ジョリー氏が予防のために乳房を摘出したことと言えば、思い浮かぶ方もいるだろう。

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予防的に自分の臓器を摘出する
病気でもないのに
女性としての証でもある大切なものを
また身体を切り刻む

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頭も心もぐちゃぐちゃになった。

正直な気持ち、ガンに負けたくなかった。
というか、ガンで死ぬくらいなら豆腐の角に頭をぶつけて死ぬんだ!とまで思っていた(笑)

悩むこと1年半。
祖母を卵巣がんで亡くし、両側乳がんと闘っていた母の経緯を、ずっと側で見てきた私は、卵巣と卵管を予防的に摘出する決心を固めたのだった。


Baby steps~アコンカグアへの挑戦

手術から3週間後、弱った足腰で痛むお腹を抱えながら、私は高尾山へと向かった。
高尾山は「都民なら誰もが一度は登ったことがある」と言っても過言ではない、親しみ深く且つ優しい山だ。かく言う私も小学校2年生の遠足は高尾山だった。
リハビリ登山の第一歩としては申し分ない。

思うように登れるのか?
いや、あきらかに降りの方が身体に負担がくる。
その時は「ロープウェイで降りれば大丈夫だ」と自分を奮い立たせ、その先の大きなチャレンジへ向けて、baby stepsが始まった。

〜南米最高峰・アコンカグアへの挑戦〜

アコンカグアへの挑戦を決めたのは、手術を受ける前のことだった。
では何故、この二つが同時期になったのかというと、答えは難しくない。

タイミングがそうさせたからだ。

人が大きな変化を迎えるときや、何かに挑戦しようとしたとき、大切なことは、様々なことが噛み合うタイミングなのだと思う。

時間的なこと、金銭的なこと、家族のこと、仕事のことetc.

特に高高地登山への挑戦になると、自分自身の体力や精神力の問題もある。
そして何より大切になるのは、「心から信頼し一緒にチャレンジできる仲間がいる」ことだ。

全てが揃っていたし、年齢的にも今しかなかった。

しかし、そこに予防的手術という壁が立ちはだかったが、その二つを同時進行し、病に打ち勝ち、歩を進めることを決めた。

標高4200mのベースキャンプからアコンカグアを望む

薄皮を剥ぐように

一つ一つの成功体験が、自分への自信をどんどん取り戻していくことを痛いほど感じた日々だった。
そこから出発までの5ヶ月間は、とにかく自分だけに集中し、やれることは全部やった。

手術から6週間後の7月初めには、1泊2日で羊蹄山へ行き、ありえないほどの筋肉痛に。その翌週は痛む脚を引きづりながらトムラウシ山の縦走へ。
8月は、以前noteでも書いたスウェーデンにある「王様の散歩道(Kungsladen)」トレッキングへと。

とにかくやらなければならないことが山積みだったが、考えている時間などない。

一番問題になったのが、高度順応への対応だった。

日本においてできることといえば、そう、日本一高い山・富士山に登ることだ。
出発までに「10回は登ってほしい」とリーダーに言われていたが、全てにおいて他のメンバーから出遅れている私は焦りながらも、バランスを考えながら、できる限り登った。

結果は5回。
しかもメンバー全員での富士山合宿では、山頂でテント泊した際に、軽い高山病を発症してしまった。

まずい…

こうなったらと藁をもすがる想いで三浦雄一郎氏が提供する「低酸素トレーニング」で、最後の追い込みをすることにした。


低酸素トレーニング

高所では気圧が下がるため空気が薄くなり、空気に含まれる酸素の量が減少する。そのため、体がその変化に対応できずに様々な症状が現れる。
一般的に富士山(3,776M)で平地の3分の2、エベレストのBC(5,364M)で3分の1の酸素量と言われている。

どんな症状が起こるのかというと、頭痛、吐き気、食欲不振、めまい、息苦しさ、睡眠障害など。
それがひどくなると肺水腫や脳浮腫を引き起こしてしまい、命の危険性もある。

平地と一緒ということは、ほぼ無く、何かしらの症状が現れるのが普通なので、自分が何に弱く、どんな症状があり、どうしたら改善できるのか?を知ることが重要だ。

兎にも角にも鍵を握るのは「高山病とうまく付き合いながら登る」ことなのだ。

ここでのトレーニングは、最初に標高4,000Mのテストを行い、その後出発へ向けて徐々に高度を上げながら、運動負荷をかけていく。
その中でどれだけ体内に酸素を取り込めるのか、どんな呼吸法をすれば改善されるのか、自分の感覚が数値にどう反映されるのかなどを、全て数値化してみていく。

実際のトレーニング表

さあ、やれることは全てやった。
体力アップ、筋力増強、低酸素トレーニング、一日2リットルの水分摂取etc.


12月4日午前3:15

ゆっくりと身支度を整え、漆黒に包まれた標高5,930Mのアタックキャンプを出発した。
いきなり足場の悪い急登だ。息が上らないよう呼吸を意識しながら15分も登ると、メンバーのうちの一人が苦しみだし、下へ降りることになった。

とにかく自分の楽な呼吸に歩行のリズムを合わせることを意識し、一歩ずつ足を進めていく。そのスピードは亀よりも遅いと言っても決して大袈裟ではない。

しかし標高が上がるにつれ、体全体の調子がどんどん悪くなり、足が重たく前へ出ない。

一歩一歩足を進めるごとに、ムカムカし始めて頭全体が締め付けられてくる。考えられないほど、足が重たく前へ出ない。
そのうち目がチカチカして、朝焼けはわかるけど景色が全然見れない。
「リーダーについて行け」という励ましがあるが、リーダーの足元しか見れない。
辛い、辛い、辛い、気持ち悪い。
当日の日記より

標高6,370M地点で倒れ込み、私の挑戦は終わった。


標高6200m付近

人は何故、山に登るのだろう?

古くから言われているこの言葉だが、自分に問いてみると案外スンナリと答えが出てくる。

当たり前だが、人はそうそう宇宙には行けない。飛行機に乗って宇宙に近いところには行けるが、それは乗り物という動力に乗り、普通の生活と同じに酸素も取り入れられる状況で近づくだけだ。

そう考えると、自分の力で行ける宇宙に一番近い場所というのは、高い山だと思う。

標高5,500Mを越えるあたりから、空気の層が変わるように感じる。天地万物すべてが吸収された「音の無い世界」は、静けさを越えた空白が自分に同化してくる。
果てしなく続くこの世の終わりまで見渡すことができ、肌がブルブルと震えてくるのだ。

五感が総動員し、生きることのみに全てを注ぎ、いらないものが削ぎ落とされていく。

ここに長くいてはいけない…

呪文のようにこの言葉だけが波打つ心臓に響いてくる。

登頂を終え、だんだんと標高が下がってくると、待ちわびていたかのように体が酸素を取り入れ、細胞ひとつひとつが活きいきとしてくる。

樹木や草花が顔を出し始め、同じ生命体として存在する自分が認識でき、今この地で生きていることを強く実感できるのだ。

「なぜ高い山に登るのですか?」と度々聞かれることがある。

答えはシンプル。

宇宙に近い場所に立つと、私が住む当たり前の世界が愛おしくなり、今を生きていることこそが全てと感じるから。

〜全ては今ここに在る









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