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不要なものはなにか
不要なものはなにか。
・あなたは、必要なものについては真剣に考えることは誰しもがやっていると思いますが、不必要なものについても、それと同じぐらい積極的に取り除くような思考パターンをいつも持ち続けていますか?
⇒持っています。
当たり前にあるものはなにか。
空気、時間、健康、愛情、親などは当たり前にある。
当たり前にあるとそれの重要さに気づかない。
いつまでもあると思うな親と金
ということばもある。
あしたはそれが無いと思えばその貴重さも感じ取れる。
健康はどうか。
がん、脳卒中、心筋梗塞などは三大疾病ともいわれている。
がんと宣告されて余命が半年は保証できないかもしれないといわれる。
半年後は死ぬ。この体はなくなる。自分の体が灰になる。
骨となる。
余命がある人を診てきたある精神科医も死を意識してはじめて本当に生きていることを感じる。
生きる素晴らしさや尊さを感じることになるという。
私たちは5年後、10年後といつまでも時間があると思いがちになる。
将来の夢や希望を語る。しかし現実は将来はあっというまになくなっていたりもする。
明日が今日とおなじように繰り返される幻想に陥ってしまう。
もし余命を宣告されれば1日の貴重さも理解できてくるということにもなる。
大病や死の淵をさまよった人も多くいる。
まさにいまがんに罹患し余命を宣告されたものもいる。
それでも私たちは自殺しない限り、明日も生きたい。あと5年で良いから生きたい。
健康な体になりたい。と思う。
いまがまさにその状態であれば、いま後悔がないように生きることしか、報われることはない。
なぜならそれをやりきれば後悔のしようがないのではないか。
自分の能力の範囲で精一杯いきた。
いいたいこともいった。
やりたいことをやった。
いつ死んでもそれ以上はできない状態でいれば後悔はないはずだろう。
それがなにかは自分が知っているはず。
もしも一年後、この世にいないとしたら。
・あなたは、あってもなくても良いものはとりあえずなくしてみるということを実行していますか?特に今あるけれども、使っていないもの、必要がないもの、必要がないプロセスについて積極的に取り除く実験を行っていますか?
⇒実験しています。
・あなたは、さまざまなことをシンプルにする作業はまとめてやると詰んでしまいますので、とにかく細かく細かくリアルタイムで行うということを心がけて、実際に遂行していますか?
⇒実行しています。