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旧小西家住宅史料館見学メモ

人生万事塞翁が馬。
ちょっとした事故に遭いまして、受診のために道修町を歩いていたら「杏雨書屋」(武田薬品工業が分離で作った武田科学振興財団が運営)に遭遇し、田辺三菱製薬史料館(事前予約制)を見つけて見学し、その流れで旧小西家住宅史料館(事前予約制)の見学となりました。


旧小西家住宅史料館(重要文化財)の見学について

こちらは事前予約制な上に、令和6年7月時点では「平日の火曜と金曜」です。平日勤務の社会人にはハードルが高い。

場所は北浜駅(5番出口)から徒歩4分
5番出口の階段上がったらもう正面に見える黒っぽい2階建ての和風建築、それです。入り口はぐるっと回りこんだ先なので徒歩4分。
受付は予約した時間枠の20分前から
待合室で短い紹介動画が流れているので早めに行くのがおススメ!
開始5分前には受付必須。遅刻不可です。

最初に懺悔しますが、私はイケフェス行ったことある上にこの建物の存在も知っていた癖に、
なんの建物かを知りませんでした……重文のプレートに気づいてなかった。

田舎によくある古い家に見えた……

予約時間の20分前に引戸をガラガラして中に入りました。
ここであってるよね?入っていいんだよね?って感じで。
引戸の低さに江戸時代を感じた……建て直し前の実家(江戸)じゃん。

受付の方に名前を伝えると1冊のパンフレットを渡され、
「そちらの待合室でお待ちください」

待合室内。薄暗くて良い雰囲気。

待合室の説明書きによると、「動画撮影不可」「写真撮影可※商業目的不可、他の見学者の迷惑になる撮影行為は不可」。
よし、SNS公開は禁止されていない…!
壁掛けTVがあるので何か再生されるのかなと待ってたら始まった!!!

待って、設定表示が出たままだよ

なんか画面右上に出たままだよ、大丈夫?消える?

あーーーーっ

「隠れてる隠れてる!」とツッコミ入れながら一人で視聴し、後半で表示が消えて、2周目再生で「見えなかった部分」をちょうど観終えたあたりで(予約枠開始から8分経過頃)「準備できましたので」と案内開始。

同じ時間枠に他の見学者はいないのかな~と思ってたら、
貸し切り状態!見学者1人に案内係が2人もいるよ!!!
案内が始まる前に、写真撮影のタイミングについて説明がありました。
説明後に撮影タイム」「説明中に撮影OK」の2パターン。

みんな、気を付けてくれ……
広~い座敷は前者なのでゆっくり撮影できたけど、
炊事場周辺は後者だった。私はうっかり撮るタイミング逃しました

さて、この史料館はコニシ150周年事業として開館、一般公開となりました(もしかしたら、その前からイケフェスで入れたかもしれない)。
その前は、3~4人ほどで駅近1等地オフィスとして使用していたらしい(案内終盤で当時の写真を見せてくれた)
なんて贅沢な……(笑)
株主総会でも「こんな一等地を……」と無駄を指摘されたそうですが、
当時の社長は愛着があったらしく手放さず、そうこうしているうちに重文になっちゃった、と。
余計にカネがかかる建物にwwww
「ボンド買ったらこの文化財維持費にも回るから買ってね、と言えと上から言われております」
おk、わかった、ボンド買うよwww

まず、案内予定の説明を聞いてから、大きなスクリーンで2本の動画を視聴。
あらすじはこんな感じ(今回も見学終わってから帰り道でメモをとったので一部うろ覚え)
小西儀助初代は、京都から21歳で大阪へ出てきて一生懸命働いた。
ある日、老舗の薬屋を買わないかと話を持ち掛けられ、思い切って買った。
色んな事業に果敢に取り組んでるうちに借金まみれになっちゃった!
道修町内で経営状態が一番悪い貧乏薬屋に……
そんな中、北村伝次郎が彦根から20歳で儀助のもとへ奉公にきた。彼は10代から薬屋で丁稚奉公しており、薬刻みに長けていた。道修町でも薬刻みができる者は少なかった
……ということは、薬刻みは誰でもできるんじゃないってことか?
(薬刻みについては、エーザイ「くすり博物館だより」に少し記載あり↓)

https://www.eisai.co.jp/pdf/museum/information/topics/vol37.pdf

伝次郎は、出世して親孝行したいとの一心で、寝る時間を惜しみ、薬を刻みつづけてなんと借金返済に成功!
それだけでなく、儀助に「お金を貸してくれた人たちを料亭でもてなしてお礼しましょう」と進言し、商い仲間との信頼を築き上げた。
ほほぉ、潤滑油をよぉわかってらっしゃる。
そして伝次郎は長女と結婚して婿養子となり、二代目儀助になった。
二代目も初代の志を引き継いで、色々な事業に果敢にチャレンジした。
鳥居新次郎が丁稚奉公にきたとき、二代目はワイン醸造を試しているとこだった……
えっ、鳥居???もしかして……
小西はワイン醸造から撤退したけど、鳥居は独立して成功を収めた。
やっぱり!サントリー!!!!!!

ここまでうろ覚えのあらすじを書いておいてなんだけど、コニシのHPにほとんどの内容書いてるわ。


動画も終わり、次は畳のお部屋の案内。

これは奥の社長室側から撮った写真

この欄間当時としては珍しく洋風の独特なデザイン
何をイメージしたものなのかは仔細不明で、小西の「小」をイメージしたのか富士山をイメージしたのかな~と案内役の方が言ってました。
金粉を混ぜて塗ってあるので当時はもっと光ってたらしい。

そして部屋の片隅にあるこのライトの外側は当時のものという……
(配線とか中身は変わってる)

うまく撮れなかったけどかわいかった

鳥居新次郎が丁稚奉公にきていた縁もあって、この史料館にサントリー社員が見学に来るらしく、儀助の写真の横にずらりと並ぶサントリー。
いや別に見学に来た社員が1本ずつお供えしてるんじゃないだろうけど。
コニシの宴会では、今でも必ずサントリーのウイスキーが採用され、ほかに手を出すと怒られるとのこと(笑)
おっ、赤玉があるぞ!

酒好きの人へのお供えぽくなってる

赤玉といえば、当時ポスターが物議をかもしたとして知られてるよね……
久々に検索してみたところ、サントリーのページにはコニシに丁稚奉公したエピソードまったく書いて無くない?????コニシの片思いになってない?大丈夫??

https://www.suntory.co.jp/wine/original/akadama/history/

奥の部屋が社長室で、畳の上に絨毯を敷いて洋風のテーブルと椅子を置いて執務していたのだそう。
ほ~と眺めていると、案内役の人の目がキラリと光り、
「ここに3つのこだわりが隠されています!」(セリフはうろ覚え)

ここに3つのこだわりがあるじゃろ

畳が長い……特注品だそうで。
床の間で畳が途絶えるのは客足が途絶えることになる、
そして「半畳分多い=繫盛多い」と験も担いだ、とのこと。
もう1つは何だ?と思ってると……

三越のマークが置いてあるな?

上の小さな枠が……なんていうのかな、名前わからんけど、
3本、5本、7本になってる。
3・5・7という数字は縁起がいいそうで、
そこで登場したのが三越マーク!ちゃんと三越の許可も得ていて「コンプライアンスはばっちりでございます!(笑)」

これも漢字のハネ部分の細い線が3・5・7!

あと、旧大丸社章にも3・5・7があった。

部屋を通り抜けると前栽(せんざい)。
初めて知った言葉だ……前栽。中庭じゃないんだ……ここ、前庭なんだ…

ゆがみガラスが健在。大正時代にステンドグラスが流行した際、こにしがイギリスから取寄せたとのこと。

見えるかい?歪みが

それにしても前栽の石がすっごいでっかい。これはそうとうなお金持ちでないと無理だな。

これは家を建てた後から運びこめるサイズではない

なんでも質問していいよ~と言われて、よっしゃきた!と明治村の勢いで質問したけど、想定外の質問だったようで答えは得られなかった……
もう住人がいないのでわかんないらしい。

これはカーテン等をつっていたのだろうと推測


この箱……どこかで…


重文になれなかった白い蔵

奥の白い蔵は、後から買い足した蔵で、構造も違うし、作った人等の詳細も不明なので重文に格上げされず有形文化財のままになってるとのこと。
地下もあるので3階建てだが実際4層。地下に「温度変化したら困る薬品」を収蔵。
その手前の暗い蔵は食品を収蔵。当時、カゴメと契約していてケチャップやチョコとか珍しい西洋の食品も扱っていた。

炊事場あたりの写真をとるタイミングを完全に逃したので、しばらく文字だけでご覧ください。

食料品部があったときの石の看板もあった(端が欠けて修復痕跡あり)。
雨どい竹っぽくはんだ付けしててお洒落。
炊事場から外に出る扉は全体も開くことができ、大型の物を搬入できるようになってる。
人間だけのときは小さい部分だけ開閉する。
炊事場の床は出入り口に向かって傾斜していて、掃除しやすい設計。
炊事場の天井は吹き抜け。煤で変色してる。
炊事場で50人分くらいつくってた。
畳の部屋で一族が食べて、番台(今でいう部長クラス)がその手前の木の床で食べて、それ以外は石畳の上で立って食べた。食べ終えたらすぐ仕事に戻った、と。
今はちゃんと昼休憩ありますよ!と言い添える案内役の方。

炊事場の吹き抜けの天井の立派な2本の柱?は全国から「同じ長さで同じ曲がりの角度のを探した」と。
一番太いのは牛の背骨に似てるから牛梁(ぎゅうはり)と呼ぶそうな。

天井の木組は、人に見せるためにいい感じの見た目で組んである。
釘をつかわない木組み構造なので耐震性に富んでいる。
公開までに補強もしたので耐震基準はクリアしているとのこと。

この建物には3階部分があったのだけど、関東大震災が起きてから、みんなから「危ないのではないか」と言われまくって噂がすごかったので取り外して、放出にある建物の上にのっけた。
木組みなので分解しやすかった。川もあったので運びやすかった。
その建物は最近まで賃貸物件だったけど、2018年の大阪の台風で、一部の壁と屋根瓦が崩落。借主に説明して立ち退いてもらった。
隣の土地ごと譲渡して、今は存在しない……が、譲受会社の社長が鬼瓦をたいへん気に入って、大事に保管されていた。
その方が史料館に見学に来た際に「あるべきとこにあったほうがいい」と言ってここに展示されることになったと。

百年ぶりにコニシに戻ってきた鬼瓦


立派なアルバム

小西家はコニカミノルタとも縁があったらしく、それでこんなに立派なアルバムをつくったらしい。
当時の鳥居氏の写真があったら、もっとドヤ顔できたのになぁと残念そうな案内役の人。

案内のトリは、最初から気になってた古めかしい金庫!!!
わぁい!金庫!大林、金庫大好き!
日本銀行の地下金庫見学は逃したけど!


古めかしい金庫


「東京市」の時代

WEB「開かずの金庫として、テレビなどでよく見かける竹内金庫。竹内金庫は、1866年(慶応2年)頃に竹内弥兵衛が洋式金庫の修理を行ったことから始まったと言われています。明治時代の初期頃から金庫の製造が開始されました。」

動画撮影はダメなので、1つずつ扉を開けていくのをパシャパシャ撮らせていただきました。これは見学者1人だったからできたのかもしれない。

1つめの扉を開けたところ。


2つめの扉を開けたところ。

3つ目の扉を開けると……えっ、待って待って普通に業務ファイル入ってる(写真は撮ったけどWEB公開はやめておく)。
キングジムの鬼厚ファイルもおる!

それもそのはず、一般公開が始まったのは2020年。
それまで普通に職場として使われてたから業務ファイルも残って……いや、いいんか?!
見学者の目がそんなところに釘付けになってるとも気づかぬ案内役の人、
何やら演技がかった声音で話し始めます
「古い金庫を開けるとお宝が入っているのが相場ではありますが……残念ながらここにはそんなお宝は入っていないのですが………おや?こんなところに……

レーザー彫りかな

そうやって差し出された木箱の中には……

見学者へのお土産


ボンドのクリップ手土産wwwwやだかわいいwww使えないwww

本当はもっとじっくり展示を見たかったのですが(展示の説明文とか全く読めてない)
この時点で2時過ぎてた。
どうしてこうなった。
田辺三菱製薬史料館でも終盤はかなりまいてた。なんでなん。そんなに質問してないぞ?
次の時間枠の見学者が来てるのかどうかわからんけど、約束の時間をオーバーするのはよろしくなかろうと思い、残りの展示を急いでざっくりを見終えて、2時15分ちょいすぎた。
すんません
でもあと45分は欲しかった……な…

まとまりのない見学メモで申し訳ない。
以上です。




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