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555とドンブラ:サイバーパンク世界の「自分らしさ」

仮面ライダー555とドンブラザーズは、その雰囲気こそ真逆なれど、共に超テクノロジーが存在するサイバーパンクSFな世界観だといえる。

そしてここからが肝心なのだが、テクノロジーはアイデンティティを拡散させる。

仮面ライダーファイズに変身できるのは特定個人の特権ではなく、悪人でも怪物でもベルトさえ巻けばファイズになれる。
ドンブラザーズはメンバーが脱退するとすぐさま代打が補充され、無限に替えが効くシステムとして運営されている。

ベルトもアバターも乗り換え放題、本当の自分が分からない。
テクノロジーが汎用化されるにしたがって、自分が自分である必要が求められなくなっていく。

だからこそ、
「やっぱファイズはたっくんじゃないと」
「オニシスター、はるか見参!」
という言葉の尊さが光る。

今この瞬間の自分を identify する…「これが俺だ! 文句あっか!!」
俺こそオンリーワンだと名乗りを上げる…「暴太郎戦隊! ドンブラザーズ!!」

これこそが、終わらないジレンマと悲しみとを退治していく鍵になる。
555(特にパラリゲ)とドンブラ、両作品に通底するメッセージは、どこか似ている。

「テクノロジーにアイデンティティが撹乱される時代における自分らしさとは?」という仮想の問いのもとに、555とドンブラを解釈してみると、奇妙な縁が結べると思う。


前にTLで見た話。
元ツイートが見当たらないので大意になるが、このような旨だった。

他人と自分を比べて劣等感に苛まれたとしても、今この瞬間に・今この場所で・今この仕事をできるのは、あなただけなのである。

これ、めちゃくちゃパラリゲだと思った。
ブレないアイデンティティは、「今」に集中することで生まれる。
たとえ未来が無くても、今を生きれば今が未来になる。

ベルトの資格者はいくらでもいる555。 お供の候補はいくらでもいるドンブラ。 互換が効きまくる世界に産み落とされてしまった身を呪うのは簡単である。

しかし、「今ここで動ける者は自分しかいない」という事実には、替えがきかない。 だから彼らは、自分を含めた今そこにある全ての生を、命懸けで守ろうとするのではないか。


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