生き物視点で都市を感じる:Comorisグリーンリビングラボ探求講座03
アーバンシェアフォレスト「Comoris(コモリス)」では、「グリーンリビングラボ」と称して、都市での自然環境や生物多様性を豊かにするためのデザインあり方を模索しています。今回開催した連続講座は、ACTANT FORESTとDeep Care Labの共催による、都市の森を探索する全5回の講座シリーズです。都市での「森」という概念を設定し、それが一体どういったものかを各回の登壇者とともに熟議する場となりました。
一回目では、「森=グリーンインフラ」と捉えながら、マクロからミクロな事例までを横断するレクチャー、二回目ではアートの視点から生活の中での微細な「森=微生物や気流、土、水の循環」を捉えました。
イベント全体の趣旨については以下のリンクをご参照ください。
第3回目は、「生き物視点で都市を感じるーランドスケープ学者とねり歩くフィールドワーク」と題して、千葉大学大学院園芸学研究院・准教授、霜田亮祐さんをゲストにお迎えしました。
私たち人間だけではなく、虫や植物など他の生き物にとっても居心地がいい場所を目指した時、そこは人間にとって安全で心地のいい場所であるかどうかはわからない。そんなジレンマと向き合いながら、これからの都市の森を考える回になりました。セッションの後半では、実際に代々木上原周辺のタイプの異なる緑地を周りながら、思索を深めました。私たちには新しい自然のカテゴリー、「第5の自然」が必要だ、というテーマが語られました。「第5の自然」とは一体どんなものなのでしょうか。一緒に振り返ってみましょう。
風景のデザインー祈る対象としての景観ー
「風景計画学」を専門とする霜田さんの研究室は、風景やランドスケープを地理学や生態学、美学、歴史学という様々な観点から捉え、地域のアイデンティティを育む風景の計画やデザイン手法について研究しています。
プレゼンテーションの冒頭、霜田さんの代表作品をご紹介いただきました。その中の一つは森の中の墓地、樹林墓苑です。
この森はもともと杉の植林地で、適切な管理をしないと、全国的に課題となっている荒れた杉林と同様、過密状態になってしまいます。そのため、あえて植林地の間を伐採して切り開くことで、1日の時間の流れと共に日照状態が変化して森に光が届くようにしています。開かれた空間を起点にして、生態学的にモノカルチャーだった場所が生物多様性を感じられるような場所に変化しつつあるそうです。
都市の森の類型:第1から第4の自然とは
人間だけでなく他の生き物にとっての自然を考察する観点から、ドイツのベルリン工科大学Kowarikによる都市の自然の類型を紹介いただきました。これは、原生自然との類似度合いと在来種の出現頻度によって植生を分類したものです。
「第1の自然」は原生自然の名残やそれを模したもの。
「第2の自然」は農林業がつくり出した自然。
「第3の自然」はいわゆるデザインされた、造園がつくり出す自然。
「第4の自然」は、都市の人工的な環境に植物が勝手に生えてきてできた茂みなどの、野性的な空間です。
第1の自然:代々木八幡の鎮守の森
例えば、代々木上原にあるComoris周辺でいうと、「第1の自然」には明治神宮内苑や代々木八幡宮が該当します。代々木八幡宮に行ってみると、入り口にはタブノキやスダジイの木がありました。これらは古来、同類の植生が、数百年ごとに更新を繰り返しながらここに存在している可能性があります。代々木上原はこれら常緑の木が多く分布する照葉樹林帯で、実は屋久島やタイ、ネパールと同じ植生グループの地域だそうです。そして同じ植物帯では、共通の生活様式や食文化、信仰形態が見られるとのことです。
デザインされた第1の自然:明治神宮の森
「第1の自然」という区分は同じでも、明治神宮内苑は代々木八幡とは異なった形で存在します。100年ほど前に設計された明治神宮は、100年から150年後の植生遷移を見越してわずかな植生が残る荒れ地のような場所に森がつくられました。それはある意味、自然をコントロールしようとする近代的な発想だったと言えるかもしれないと、霜田さんはいいます。人工的にデザインされた「第1の自然」の模倣とでも解釈すればよいでしょうか。厳かな森が広がっています。
第2の自然:高度成長期に失われた里山
「第2の自然」は、いわゆる畑や田んぼなどがそれにあたるのですが、今回のフィールドワークのエリアに該当する場所はありませんでした。ただ、100年ほど前の地図と重ねて見ると、Comorisの場所を含め、今でこそ東京23区のど真ん中といってもいい渋谷区も、かつては多くが田んぼだったことがわかります。庭先のちょっとした野菜プランター以外に、生活のためのリソースを提供してくれるような第2の自然を、都市の中に発見することは難しいということが改めてわかります。
第3の自然:生物多様性の低い代々木公園
「第3の自然」は今回のフィールドワークの中では、代々木公園が該当します。公園などの整備された緑地は一見緑豊かなように見えるかもしれませんが、この類型では都市の「野生」のポテンシャル、すなわち生物多様性の度合いは低いとされています。実際に人間が活動しやすく過ごしやすい、誰もが愛する「第3の自然」、一方で他の生物からみればこの自然は憩いの場だとは言い難い。霜田さんはこのジレンマとどう向き合うのかが、都市における生物多様性を考える上では大切なのではないかといいます。
第4の自然:年の隙間にある荒れ地や茂み
Comoris周辺を散策するとチラホラとある雑草の生えた小さな隙間。葛が覆っていたり、ススキがはびこっていたり人の立ち入るような雰囲気ではないところが多いです。こういった都市空間の隙間にあるような茂みや荒地が「第4の自然」に該当します。フィールドワークで歩く中で草がボーボーに生えた茂みに遭遇すると、生き物にとってはこんな場所が心地よいのかもな、と今まではただの荒地に見えた場所がとても大事な場所に思えてきました。
「第5の自然」としての都市の森ーアウトオブコントロールの捉え直しー
こうした第1から第4の自然の類型を踏まえ、霜田さんは「第5の自然」について以下のように語ります。
霜田さんは、意図された野生である「第5の自然」を考える上での事例として、先に紹介された樹林墓苑のほか、ベルリンの例を挙げられました。この場所は東西ドイツが分断されていた時代の跡地として保存されています。コンクリートの隙間から自然と植物が生えてきて一種の荒地のようですが、意外にも生物多様性が高い場所となっています。こうした荒地に物語や記憶を重ねることで「第5の自然」として空間の意義を再定義できるのではないかと、その可能性に言及されました。
モザイク状にデザインされるべき「第5の自然」
このようにそれぞれの類型の自然を見てきましたが、実際の都市環境では、これらは秩序だって配置されているわけではなく、モザイク状に入り混じりながら存在しています。明治神宮内苑も、原宿の都市のど真ん中に突然存在し、鳥や虫は、それらの周囲にある緑地を飛石状に渡り歩いています。このように、ネットワークやアクターの「関係性」に着目して個々の緑地の存在価値、利用価値を見出していくことができるのではないかということでした。
「第5の自然」としてのComoris
生き物と人間の営みが交差する「第5の自然」とはどのような場所だろうか。そんな問いに向き合う時間でした。地域の緑の多さをはかる緑被率という指標はとても重要ながら、実はそれぞれの緑地の性質までは考慮されていません。単に公園があれば生物多様性が担保できるというのは、少し安直な見方だと気付かされました。
同時に、今まではあまり注目していなかった荒地が、生き物の住まいとしてとても重要な宝物のような場所に見えてきたのがとても不思議な感覚でした。現在、雑草だらけの荒地は手をかけられていない場所として忌諱されたり、役所に苦情が申立てられたりと厄介者のような扱いをされています。都市の森がそこかしこにある状況をつくるには、人間目線と生き物目線、複数の眼鏡を持つ人が増えることが必要なのかもしれません。
都市において、楽しみながら能動的に自然と関わる場を目指しているComoris。なぜ「フォレスト」という単語を使ったのかぼんやりとしていたものを、霜田先生は鋭く言語化してくれたような気がします。人間のためだけの公園でもなく、失われた畑作や里山への憧憬でもなく、あるいは人間の立ち入りを拒む原生林や荒れ地でもない。これからの都市生活に必要とされるのは、人間も参加できる多種のための新しい自然類型なのでしょう。
Comorisでは、朝食会で賑わうテーブルやベンチの脇が、じめっとした茂みになっていたりします。私たち人間も憩える場所でありながら、生き物にとっても居心地のいい場所。近代に生きてきた私たちの感性が二項対立として捉えているだけで、少し異なる感性から見れば、両者がすんなりと共有できるコモンズをつくることは可能なのではないでしょうか?
つい先日、Comorisの対面にあった雑草が生い茂る第4の自然感満載の空き地が、一夜にしてコインパーキングになっていました。都市の私有地では、空き地かパーキングか再開発か、そのような選択肢が取られることはままあることです。第三の選択肢はないものか。荒れ地とコインパーキングの間のような「第5の自然」としてのグリーン。Comorisグリーンリビングラボでは、それがどのようなものになるのかを、引き続き探索していきます。