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④ACTトレーニング_文脈の中の自己

筑波大学大学院
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●文脈としての自己~いろいろな自分の側面に気づきましょう

⇒「概念としての自己」は固定的な自分のイメージのこと

自己には異なるレベル(側面)が存在します。「自分は○○だから…」といった、自分の仕事の能力や収入、容姿などが、他人と比較して劣っていると感じる場面
では、その比較の元となる固定的な自分のイメージ(これを“概念”と呼ぶ)を信じ込んでいます。これは、言語を身につけてから後に生まれたものです。

⇒「観察者としての自己」は言葉から独立した客観的な自分の視点のこと

概念としての自己に対して、それらにただ気付き、客観的に観察している視点もあります。この視点は「観察者としての自己」と呼ばれます。これは、概念としての自己が形成される前、すなわち「自分は○○だ…」と定義し始める前からいて、自分の根源的な存在そのものなので言葉から独立しており、不快な気持ちや感情、感覚に傷付けられることがない側面のことです。

●将棋盤のたとえ
将棋盤の上で駒が動かされ、戦いが始まります。ポジティブな駒が優勢である場合もあれば、ネガティブな駒が勢いを増すこともあります。私たちが「概念としての自己」に執着しているとき、私たちはこの駒のように戦いの中にいます。駒同士の戦いがどんなに激しいものでも、将棋盤はただすべての駒を乗せる役割だけで、勝敗とは全く関係がありません。この将棋盤の視点こそが「観察者としての自己」の視点です。「観察者としての自己」は非常に気付きにくく、さまざまなACTトレーニングをしていく中で初めて気づく視点でもあります。

●公平な観察者(賢明な心の持ち主)になるために
観察者でいることがどうして重要なのか。観察者でいることの利点は、今起きていることや自分の体験を、どちらか一方の側につかず、公平に観察できることです。だからこそ格闘を終わらせ、綱引きのロープを置くことができるのです。観察者としての自己を感じるトレーニングによって、重要な洞察を得ることができます。それは、あなたの行動は、あなたの思考や感情と区別できるということです。
「あなたの感じているもの」と「行動」との違いがわかれば、自分の行為を選ぶことができます。あなたは、内なる世界と闘うこともできれば、その痛みを抱えたままで前に進むこともできるのです。この選択はあなた次第なのです。