時間差読書会。ハンナ・アーレント『革命について』の予習・復習として、宇野重規『民主主義とは何か』‥公的領域/私的領域

本の感想を投稿して、興味のある方からコメントをいただいて、というのをnote上でやりたいです。
この本について、また私の投稿についてnoteに(他のブログ等でも、もちろん可)書かれたらお知らせください。読ませていただきます。
そして、構わなければコメントさせていただくかも知れませんし、それを含めてまた投稿するかも知れません。
そうやって、やりとりが続くと楽しいなぁと思います。
すぐでなくていいんです。気が向いたときにコメント、1年後でも、2年後でも、それ以上でも。

はじめに

秋から、ある読書会に出て、指導者の解説を聞きながら読み進めているのだけど、どうもキツネにつままれた感覚が続いていた。で、会場でぼうぜんと座っていても仕方ないので質問をするのだけど、返答を聞いて納得できることが少なくて、首をひねるばかり。指導者も気になるのか、私が顔をしかめると声をかけてくださるようになったのだけど、やりとりを繰り返しても、上のような感じだった。

それに助け舟(?)は来た。一つには自分は三年聞いててやっと分かった、自分は十年出席してやっと分かったと。
もう一つは、『革命について』の前提として、『人間の条件』があるのだから、読書会にそれも持ってこいと。なので買ってはみたけど、うーんそれと合わせて解説を聞いたら納得できるのだろうか‥。

と、このように五里霧中で困った状態だったのが、たまたま見つけた本を読んだら、そういう事かと腑に落ちた。それが宇野重規『民主主義とは何か』講談社現代新書だ。
今の自分の公的領域/私的領域についての理解を今回は書こうと思う。

まずは、ある読書会で自分が理解したこと

古代ギリシャでは家族(+奴隷)の30人ほどで固まって住み、食糧から何から生活に必要な物を生産していた。そこを「私的領域」と言った。

そのような家族+αが、何十か集まって都市国家を形成していた。家族以外の人が集まって話し合う場所が「公的領域」であり、そこでは他の都市国家との戦争についてが話し合われた。戦争はその時代の人にとって勇敢さを示す場であり、喜んで自分たちの都市国家のために戦いに赴いた。

宇野の「民主主義について」から読みとったこと

「公共の領域」には、神殿、劇場、広場等が含まれる。広場では商取引等も盛んに行われていた。
しかし「公共の領域」の「民会」で行われた話合いのテーマは、他の都市国家との外交や戦争についてが主だった。それ以外の、例えば現代の議会で扱われているテーマは対象外だった。

「公共の領域」では他の都市国家との戦争について話し合われたが、自分の属する都市国家全体のためでなく、自分(の家族)の利害に基づいて主張することは(当然)あった。
例えば、アテナイ(だったと思う)がシチリアを攻めようと議決された。新興ブルジョワ(?)は戦いに勝って、儲けを得たいとして賛成した。貴族は戦費の負担を嫌って、反対した。

結局、「公的領域」「私的領域」について理解したこと

「公共の領域」の意味は二つある。
一つめは、家族+α以外と集まって話す場が「公共の領域」である。もちろんその時代だからって、家族+αで調達できるものは限られているので、それ以外は外に行ってゲットしてくる訳だ。商取引をする広場は「公共の領域」だ。
‥その時代には家族単位で農業やったりして、必要なものは家族内で調達できてたといった話が、ある読書会ではやたらと強調された(気がし)て、すっかり惑わされた感じ。妄想?
その、ある読書会で、どっかの頁に出てくる「社会の勃興」の説明として、家族単位では調達できないものを手に入れられるようになったと聞いた(妄想?)のも、自分の誤解のもとになった。
しかし商取引を、商人に家に来て貰ってやってもいいわけだし、「公共の領域」を設定する意味がイマイチ不明。

二つめは、公共的な意識を持つことが期待される場が、「公共の領域」である。「民会」で、外交や戦争について話し合われるときには、自分の属している都市国家全体の利益を考えるべきとされた。
‥そりゃまあね。しかし前節に書いたように、戦争に参加するメンバーそれぞれが個人的な利益を考えないというのはあり得ない。アテナイだって、どこだって、いつの時代だって。
つまり、「公共の領域」というのは、そこでは皆が「公共的な意識」を実際に持ってるのでなく、持つことが期待されてる場なのだ。当たり前だけど。
しかし公共的な意識を持つべき場所というなら、例えば今なら家庭内の人権とか、環境に配慮したゴミ処理とか、家だって公共的な意識を持つべき場所とされている気がするが、昔はそういう事は一つもなかったんだろうか?
これまた、わざわざ「公共の領域」を区別する意味が私には分からん。

そもそも『革命について』志水速雄訳 ちくま学芸文庫に出てくる「公的領域」と、宇野の「公共の領域」って同じものの事だろうか? それも分からない。
やっぱよく分からんなぁというのが、今回まとめを書いてみての感想だ。お粗末さま。



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