時間差読書会。私たちはどこにいるのか 政治としてのエピデミック。まずは、高桑和巳さんの翻訳者あとがき
本の感想を投稿して、興味のある方からコメントをいただいて、というのをnote上でやりたいです。
この本について、また私の投稿についてnoteに(他のブログ等でも、もちろん可)書かれたらお知らせください。読ませていただきます。
そして、構わなければコメントさせていただくかも知れませんし、それを含めてまた投稿するかも知れません。
そうやって、やりとりが続くと楽しいなぁと思います。
すぐでなくていいんです。気が向いたときにコメント、1年後でも、2年後でも、それ以上でも。
翻訳者あとがきを、私なりに要約
・翻訳者があとがきを執筆した当時(出版された2021年2月のちょっと前?)には、ヨーロッパでアガンベンのコロナ関連の議論を擁護する人はごく少数だった。
・アガンベンは、2020年2月からコロナの騒動への違和感を表明し続けた。
・アガンベンの議論には不備がある。例えば感染者の大半が重症化しないから、高リスク群まで感染させてしまい、医療崩壊を起こす点を考察していない。医療従事者の健康被害への言及もない。
・他にも不備がある。強権政策、リモートでのコミュニケーション、マスク着用を批判しているが、代案を提示していない。
・それでも見るべきなのは、公権力が見つけた新たな権力行使のパターンをアガンベンが指摘し、批判しているところだ。
・公権力は、感染症発生と言いさえすれば、非常事態を宣言して『例外状態』だからと法律を停止しても市民が従う、つまり感染症をダシに強権的支配が出来ると知ったのだ。
・ヨーロッパではこのような議論さえ封じられるという嘆かわしい事態となったが、日本ではこの本が出版できることに示された通り、そこまででないのは幸いだ。
感想
まだ本文を読んでないのに、あとがきへの感想も妙だといえば妙だけれども、結構このあとがきが私にはインパクトが強くて、あれこれ考えた。
まずは、この本やあとがきに限ったことじゃないけど、コロナをどの程度のウイルス感染症とみるかで、考えが違ってくるなーと。
眼目の『例外状態』について、高桑さんと、いや何ならアガンベンとも私は意見が違った‥この本が出版されたのは2021年なので、2024年9月の今となっては高桑さんもアガンベンも『例外状態』について意見を変えただろうか?
ヨーロッパで公権力が『例外状態』で法律停止みたいな事をやったのは、それ自体が目的ではなく、公共の福祉のためではないのか? つまり私たちが公権力に権力を預けているのは公共の福祉のため‥例えば弱い立場の人を守るとか‥であって、その目的のために仕方なくといったら言い過ぎかも知れないけど、『例外状態』をやったのではないか?
スウェーデン以外のヨーロッパ諸国と日本とでは、コロナ対策が随分と違うように感じた。
ヨーロッパ諸国ではロックダウンをやり、ワクチン未接種者には公共機関を使わせなかったり医療に従事させなかったりなど事実上のワクチン強制をした。
日本では緊急事態宣言したけど自由に出歩けたし、ワクチンを打たずとも電車に乗って、店だろうと人の集まる建物だろうと入れ、医療職従事も自由(学生は、学校から不当に強制されたりしたらしいけど)だった。
で、何が起きたかって、ヨーロッパ諸国ではワクチン接種が広まると同時に、市民がコロナ終わりました感をもつようになって普段の日常が戻った。
日本では何となくコロナ怖い感がダラダラ続き、高齢者は家で自主隔離を続けて体力を低下させた。それは自主的だからまだ良いかもしれない。
だけど重大な人権侵害もある。例えば高齢者介護施設での、面会制限、外出制限、介護における感染対策の優先が今でも続いている! 入所者にとっての利益不利益を考えてとは到底思えない。長期に面会や外出を制限した方が健康にいいのか? 寿命が伸びるのか? 重症者増加による医療崩壊での、入所者以外への利益不利益についても、医療提供体制や諸々他に考慮するべき要素がいっぱいあるんじゃないのか?
要するに介護施設でリンチやってる、公権力がやらないのに、そこいらで勝手に『例外状態』を続けてるってことではないのか?
こうして弱者に不利益が集中してしまうぐらいなら、日本もロックダウンだのワクチンの事実上の強制した方がまだマシだったんじゃないのか⁉︎
これを、高桑さんにも、アガンベンにも、他の人にもどうか考えて欲しいと私は思う。