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19YEARS #3 東京を知らない

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2013年2月

駅で友達と別れたあと、ひとりになった。
「ここはどこ」
代々木上原駅だと頭ではわかっている。けれど、知らない遠いところにいるような気がした。体が浮いている。不安な気持ちがどんどんふくれあがる。小刻みに震えがくる。どっち方面の電車に乗ったらいいんだろう。
「家はこっちにあるはず。でも、誰も待ってない。わたしの家族はどこにもいない」

東京に、20年住んでいる。よく知ってる街なのに、こんなに不安でこわいなんて。

これまでわたしは、すすむの体を通してしか、東京とつながっていなかったのかもしれない。彼がいるから、東京に立っていられたのだ。彼がいるから、出かけても帰る方角がわかったのだ。

「帰るんだ。誰も待っていないあの建物に」
誰かからの指示みたいな言葉に背中を押され、みずからの意志ではない体は、電車に乗った。川に流される落ち葉みたいに。

目に入る景色は、以前とまったく変わらないはずなのに、とにかくすべてが知らない場所なのだ。家の前も、公園も、多摩川も、みんな初めて見る景色。
「こんにちは」
近所の人に挨拶される。すぐに名前は言えるけれど、初めて見る顔だ。

暮らすことはできる。掃除やら洗濯やらやろうと思えばできる。なにをしても、なにもしなくても、常に胸がつぶれるように痛い。手と足は常に小刻みに震えている。

それでも喜びが感じられる時間がたったひとつだけある。食べる時だ。そのときだけ、生きていると思える。けど、おなかがいっぱいになるとそれは終わってしまう。

スーパーに買い物に行く。なにを買えばいいんだろう。すすむの好きなものが目に飛び込んでくるたび、動揺する。
「干物、冷凍庫に入れとけよ。ライ用の鶏肉買ったか。晩ごはんは豚汁作ろうか」
耳のそばで、くっきりとすすむの声がする。お酒の売り場にさしかかったとき、視界がぐらっとした。缶チューハイを手に取っているすすむが棚の前にいるような気がした。目を閉じてもう一度開ける。いなかった。

時と場所を選ばずに波のように襲ってくる泣き発作を、それなりにコントロールする術も覚えた。どうしてもこみ上げてくる時には、ドライブに出る。誰の目も気にせず大声を出していい場所は、カラオケボックスでも、誰もいない海辺でもなかった。走る車の中なのだ。この安全地帯でタガが外れたが最後、体の底の方から突き上げるように泣き声がでる。自分の声が動物のようだと思った。どんな声をあげても、誰にも聞こえない。喉が破けるほど噴き上げるノイズ。目のなかに滝が流れる。ワイパーでは拭えない。川沿いの道を走る。信号が少なく、人もいなくて、まっすぐ走れるから。

体が裂けるほど孤独がこわい。でも誰にも会いたくない。会いたい人は一人しかいない。地球上のどこまでいってもいない。話したいことがたくさんあるのに。
「会えないなら電話番号教えて」
そうつぶやいて驚いた。

冗談じゃなく本気で言ってる自分に。

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