acorin
この感情は 以前に私が 周りの人たちに 抱かせていた感情だ とふと気付いた それが自分に戻ってきたことを 心の深いところで感じた 嫉妬や羨望 それは誰の心にも起こる感情だし 意図的に嫉妬させたわけではないが (恋愛の嫉妬ではない) 人から認められて 恩恵を受け続け 高揚した気分でいると気付かない 周囲からの嫉妬 それが自分にも沸き上がったことで そう思わせてしまっていた罪を感じた その時に気付いていれば 自分の落ち度を露呈して 自ら格下げしておくことも出来たはず
なんでこの人はこうなの❓️ なんでここはこうなの❓️ なんで❗️なんで❗️なんでやねん‼️🤔 なんで怒ってんの❓️( ̄O ̄) あっ❗️ハーリー 私の心の声をまた聴いたわね❗️😩 そりゃそうだ だっておいらは お前の心の中にいるからな
自分の心を見つめて 内観するのはとても大切 自分の本当の気持ちに 意外と誰も気付いていない 質問をしていくと いくつか答えが出るけど その時に からだの状態も 忘れずに見て欲しい 大丈夫と言いながらも 呼吸が浅かったり からだが緊張して 肩が張っていたり 目がキョロキョロしてたり 人の話を聞けなかったり… 実は心より からだの方が素直です 心は嘘をつきます 生活していく上では 嘘をついて 自分を守る場合もあります 心が強い人ほど からだに負担をかけて
あなたは 何か困ったことがあった時に 誰かを「頼る」ことができるだろうか 「頼らない」と言う人は どうして頼らないのか 本当は「頼れない」のかどうか 考えてみたことがあるだろうか 「頼らない」という人は 自分の力でなんとかしたい人であり その自分の力を信じている人である 一方「頼れない」という人は どうして頼れないのか それは人を信じられないからなのか もしくは頼るのが恥ずかしかったり カッコ悪くて言えないのだろうか 「頼らない
矢印が自分に向かっていると 感じる時がある そんな時は決まって 文章には 「自分」という言葉が増えてくる 内側に溜め込んで 来たるべき時のために 準備している感じだ 自分とは一体何者で 何を必要とし 何を大事にしているかを知りたくなる そんなときこそインプット・吸収 内面を高める時 矢印が外に向かっていると 感じる時はどうだろう 誰かの役に立つことや 持てる力を発揮することに 専念したくなる どんどん人に逢っても疲れない 自己表現を躊躇なく行える そんなときこ
「人に迷惑をかけないように」 そう言われて私たちは育ちました 実際にそう思っている人は多いです でも 果たして本当にそうでしょうか? 迷惑の度合いにもよりますが 所詮人は誰かの助けなしに 生きていくことはできません 直接の助けではなくても 必ず誰かの優しさや苦労の上に 自分の幸せがあるものです 若い頃はむしろ 大いに人に迷惑をかけながら ごめんなさい! 申し訳ありません!と 頭をしっかり下げて 人に感謝をしながら 生きていくのがいい
うまくいかないと感じる時は 足元を見てみなさい あなたを今まで支えてきた 心優しき人たちの顔が 見えてきませんか? ここまでこれただけでも 奇跡の連続でした まずはそこに気づいてください きっとこれからも あなたを助けてくれる人が 次々と現れるでしょう 試練とチャンスは セットでやってきます チャンスを先に受け取れば そのあとには試練が必ずあります 今が試練の連続の人には 諦めなければチャンスは来ます 弱音は吐いてもいいんです 助けてと言ってもい
10年ほど前 ゆとり教育の弊害が叫ばれて 急激に学校の教科書は増えました 8kgのランドセルやリュックを背負い 子供たちは毎日学校に通いました そして今度はコロナによる休校で またさらに授業やカリキュラムは遅れ さらに教科書や問題集は増えていくのでしょう ゆとりって本当に大切なもの それは建築物にも言えることです 宮大工は 釘を使わない「木組み」という技術で 寺社や仏閣を作ります まるでパズルのように 木と木をぴったり組み合わせるのです 日本の素晴らしい技
本当は欲しかったのに 我慢をする 高いから… もったいないから… すると必ずその我慢を 人はどこかで解消しようとするもの 代用品を買って我慢をする まぁいいか と我慢をする やっぱり安いなりだなぁと がっかりする その我慢やがっかりが 実は大きな損失になるのです どうせなら思い切って バーンと買ってしまう その方が満足度は高く 自分に対する価値が上がります 同じ我慢をするならば すぐ買うのを我慢して 100均での無駄買いをやめる
「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」 ご存じ中島みゆきさんの 「空と君のあいだに」 その歌詞の抜粋 この歌詞を聴いた時にゾクッとした 悪はダメだよね どう考えたって だけど 君の笑顔を見るために悪になるって 究極の愛だよねって思う 最近はみんな良い子ぶっていて 誰かを守るために自分が悪者になるなんて そんなのあり得ない世の中になってる いいんですよ それでも 間違ってはいないですから でもね 人を守るってことは 口先だけのことじゃなくて 身を呈
話すのが苦手な人 人間関係がうまくいかない人 私も昔はそうだったけど あなたは家族に 自分の本当の気持ちを伝えてる? どうせわかってもらえないよ 言ってもムダ 適当にごまかしてるよ 言うのが恥ずかしい 言わなくてもわかるでしょ そんなふうに思うだけで 気持ちをちゃんと 伝えてこなかったんじゃないかな? 一番身近の 一番基礎の基礎 ベースであり 根っこの部分 そんな家族に 自分の本音や素の姿を 出せていないとか 伝えようとしていないとか
心は揺れ動く じっと同じ状態ではいられないもの さっきまでとても楽しかったとしても 一瞬で落ち込むこともある ふさぎ込んでいた心が誰かの言葉で 晴れやかになることもある 振れ幅が大きいほど 心は揺れて不安定になるもの どんな時も大騒ぎせずに 淡々としている方がいいのかもしれない ゆっくり少しずつ喜び ゆっくり少しずつ悲しむこと 成長しようと変わろうとする時も グーンと伸びたと思ったら また元に戻ろうとする力が働いてしまう それはまるでゴム紐のように
父親も母親も いつまでも元気でいると思っていた でも少しずつ物忘れが増え 足元もふらつき会話がズレていく 理解し合えない話をしても無駄だと どんどん一緒にいる時間は少なくなっていく 若かりし頃は 自分が歳をとるなんて あまり考えたことがなくて 長い時間立っていることが ツラいこととか 重たいものが持てなくなることや 高いところに手が届かないことが 不思議でならなかった 腕が上がりにくくなって初めて 髪をとかすことさえ 楽ではないことに気付いた 歳を重ねた今に
イライラはなぜ起こるのでしょう 自分の思うように 人や物事を動かしたいのに そうならない時に イライラが起こります 本能と理性が食い違うときに 私たちはストレスを強く感じます そして 理想と現実 そのギャップに 脳が耐えられなくなり イライラしてしまうのですね 脳は面白いもので 時間を理解できません 過去のことを思い悩むと まるで今起こっているかのように 悲しみは続き 悲しい現実を引き寄せます 未来のことを心配していると 今が不安でいっぱいに
そろそろ私 本音で生きてみたくなった そんなふうに思うときがある 自分の思いを 嘘偽りなく 表現していくことに 憧れを感じる あの人はいつも 周りの空気なんか気にせず 自由に言いたいことを言っている そんな姿 羨ましいな そんなふうに思ったことはありませんか? でも実際に 影ではその人に対する 悪口も聞こえてきます 「あー、やっぱりやめておこう…」 勇気がかなり必要だったりします 陰口には2種類あって 1 本当に嫌がられている 2 実は羨ましくて嫉妬が混
価値観は 人それぞれ違うのが当たり前で たとえ価値観の合う人と 一緒になったとしても 残念ながらいつのまにか 合わなくなってしまっている 価値観は お互いに歩み寄りながら 育てていくものかもしれない 自分の価値観を押し付けることなく 相手の価値観も認めて 譲り合って生きていく そんなの面倒くさいと 一人でいることも自由だし 相手に合わせて生きていくのもあり 結局は 自分で決めていくもの 女性の幸せは何?と聞かれて あなたは何て答えるだろうか あなたの価値観は 本当