物語食卓の風景・対面①
久しぶりに小説の続きです。いつも楽しみにしてくださっていた方はすみません。引っ越し騒動で書く余裕がなくなってご迷惑をおかけしました。引っ越し先も無事決まったので、今週から連載を再開します。
前回は真友子が関西出張の機会に数年ぶりに妹の香奈子を訪ね、関係を復活させた話でした。実家に帰りたくなくて疎遠になったため、地元に暮らす妹とも会いづらくなっていたのです。香奈子が父の所属サークルに「潜入」することを決めたところへ、夫の浮気相手かもしれない美帆からLINEで連絡があり、会う約束をしました。今回は美帆との食事に真友子が出かけたところから始まります。
阿佐ヶ谷駅近くの、何だか懐かしさを感じさせる商業ビルの1角に、トルコ料理の店はあった。迷った末、数年おきぐらいで訪れる、ちょっと改まった席の日に着るグレーの花柄のワンピースを選んだ真友子。約束より15分も早く店に到着した。
ドアを開けると、薄暗い店内はまだほとんど客がいませんでした。エキゾチックな顔立ちの女性が席へ案内してくれます。おそらくトルコの人なのでしょう。外国語訛りのあるしゃべり方で「いらっしゃいませ」と声をかけられたので、「徳山の名前で予約しています」と言うと、奥の4人席へ連れて行ってくれました。
とりあえず渡されたメニューを開き、中を見ていきます。何だか雑誌みたい、と思ったら、どうやら店を懇意にしているプロの人が書いたよう。分かりやすくメニューの解説があります。でも、本当に聞いたことがないような料理ばかり。でもファラフェルは、最近はやっているらしく、名前を聞いたことがあります。確かトルコのコロッケ。でもふつうのコロッケとの違いがよくわかりません。なんだかよくわからない。弱みを見せるようで悔しいけど、料理選びは美帆さんに任せよう。
メニューを3回読み、さらにスマホでニュースなどを見て、ぼんやりし、だんだん緊張が高まってきたところで、約束より15分も遅れて美帆はやってきた。
「すみません!仕事がおしたうえ、携帯の調子が悪くなっちゃって、ご連絡もできずに遅れてしまいました」と息が上がった状態で切れ切れに言う。店員が持ってきた水を一気飲みする美帆。今日は、ベージュのスーツにピンクのシャツ。真友子の視線に気づき「堅苦しい恰好ですみません!今日はプレゼンに同行していたので」と言い訳をする。前はキャリアウーマンっぽい余裕の雰囲気だったのに、ビジネスウエアで決めているはずの今日は、息が上がって髪の毛も乱れているせいか、服の色が薄いせいか、疲れた中年女性ぶりが目立つ。
水をおかわりして、ようやく落ち着いたのか、「何か頼みました?」と聞いてくる美帆。
「いえ、私はトルコ料理をよく知らないので、美帆さんにお任せしようと思います」
「そうなんですね。分かりました。ぜひトルコ料理の魅力を伝えられる料理を選びたいと思います。トルコ料理はフランス料理、中国料理と並んで世界の三大料理の一つって言われているんですよ。何しろオスマン帝国の歴史がありますからね。イスタンブールとかすごく魅惑的で、現地のモノは何でもおいしいんです。あ、苦手な食材とかありませんか?」
「いえ、好き嫌いはあまりないので」
「じゃあ、フムスと、羊飼いのサラダ、キョフテ……羊肉は大丈夫ですか?」
「大丈夫です。何だかわからない名前が続きますね」
「フムスはひよこ豆のペーストです。キョフテはハンバーグです。ケバブも食べましょう。あとはピラウ。あ、飲み物はどうされますか?」
「ビールでも」
「分かりました。ではとりあえずこのぐらいあれば十分かな、もしかすると中年2人で多いかもしれないから、ケバブはとりあえず止めておきましょう。ピラウもお腹の具合を見て決めるほうがいいかもしれません。真友子さんは、よく食べる方ですか?」
「ふつうだと思います。お任せします」
「私はつい頼み過ぎちゃうんですよね。どうも胃を中心に生きているみたいで、食べることが毎日何より楽しみで」
「外国料理におくわしいようですが、それはあちこち旅行されたからですか?」
「まあそれもありますけど、好奇心が強いことが大きいかもしれません。旅行好きとはいっても、何十カ国も行ったわけではないですし、食ならいけない国のものも食べられる。平和ならとてもいいところだと聞くイスラエルも行ったことがないですが、イスラエル料理なら都内にいくつかお店があるので、食べることができます」
「イスラエル料理……。外食が多いんですか?」
「基本、外食です。毎日のことだから、ふだんは近所のカフェとかご飯屋さんで定食みたいなものを食べることが多いんですが。会社の近所でもヘルシーな定食屋があるんですよね。大戸屋も好きです」
「料理はされないんですか?」
「もともと得意じゃないのと、1人暮らしだと、食材が余ったりするでしょう。残業続きで作れない日が続くと、腐ったりするのももったいないから、作らなくなりましたね。若い頃は料理を覚えようとレシピ本を買ってみたこともあるんですけど、説明がよくわからないし、私がつくっても、ちっともおいしくないんですよね。何がダメなんだかわからないし、おいしくないものを食べるとげんなりする。もう作ることをあきらめようって思ったのが、10年ぐらい前かな」
「へえ」
「真友子さんは、料理がお得意なんですか?」
「まあ普通にできるぐらいです。フリーで家にいることも多いですし、外食が続くと出費もかさみますから」
「普通に、っておっしゃる人はだいたい料理上手なんですよね。いいなあ。どんなレシピ本が分かりやすいですか?どの料理家さんが好き?」
「レシピはほとんど読まないです。実家を出たときにベターホームの本を買ったぐらいかしら。でもどこへ行ったのか」
「すごい!レシピなしで料理が作れるんですね!」
「私の場合はそんなにレパートリーが多くないし、割と定番の洋食、和食、中華を作るぐらいですよ。外国料理なんてほとんど知らないから、調味料だって、基本的なものしか持っていません。スパイスもナンプラーも家にはありません」
「へえ。そういえば私、昔インド料理にハマって、家でも作れないかとガラムマサラを買ったことがあるんですけど、当時はあんまりいいレシピ本がなかったのか、作り方もよくわからない。でも、ルウで普通に作ったカレーにガラムマサラを入れたら、ちょっとスパイシーになりました」
「カレーは作ったんですね?」
「でもカレーって、ルウの裏のレシピを見ながらだと量を作ってしまうから、結局腐ったんですよ……それでカレーも作らなくなりました」
「ガラムマサラはどうしたんですか?」
「そのまま放置して、引っ越しのときに捨てました」
「なるほど」
「真友子さんは、料理をどんな風に作るんですか?」
「どんな風って、適当に残り野菜を組み合わせて味噌汁にしたり、炒め物にしたり。仕事はしてますけど、まあ普通に主婦の料理だと思います」
「主婦の料理。冷蔵庫を見て、名前のない料理を作れる人って羨ましいです。私には主婦の素質がどうもないみたいです」
「名前のない料理って言い方があるんですね。そういえば、あんまり料理名って意識したことがないかも。残り物料理ばっかりですけど。うちも美帆さんほどじゃないかもしれませんけど、航二はもちろん、私も急に予定が変わって夕食がいらなくなることもあって、残り物料理だけじゃなく、料理自体が残って、翌日温め直して食べることもよくあります。それがおいしいかどうかなんてあんまり気にしたことがありません。それより捨てるのが、もったいないと食べてしまうことが多いです」
「料理、楽しいですか?」
「うーん。楽しいときもある。家事って生活習慣の部分があるから、楽しいかどうかなんってあんまり考えずにやっていますね」
「すごいわ、家事のプロですね!」
「プロなんて。商品に出来るほどクオリティの高い家事をしているとは思えないですけど」
「ご謙遜!私は実は家事が一通り苦手で。洗濯も可能なら全部ランドリーやクリーニング屋に出したいぐらい。でもそれを習慣にすると、生活費がかかりすぎるから、一応洗濯機にかけて干すところまではやります。本当はドラム式洗濯機でも買って、干さなくていいぐらいがいいんですけど。できれば自動畳み機が欲しい!掃除もマメにしないから、引っ越しのときに真っ黒になっているところに気づいたこともあります。まあ片づけだけは得意なので、ふだんは汚部屋には見えないんですけどね。片づけは好きかなあ。ものがきれいに並んでいるのを見ると気持ちいいです」
そこへ料理が次々と運ばれてきて、いったん美帆は黙った。前回は海外旅行の話がエンドレスに続いたが、今回は家事の話。話題が豊富というか、よくしゃべる人だなあ、と真友子は、少しばかり気持ちが引いていた。この人と航二は、浮気しているのかどうか。どう切り込んだらそのあたりが探れるのか、考えあぐねていた。