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物語食卓の風景・昭和家族の妻①

 先日、新しいカテイカ研究会の仲間の有賀薫さんと会って、家族構成も暮らし方も価値観も異なる多様な人たちが、それぞれ納得して心地よく感じる家事のあり方を考えていくには、ケーススタディとして小説にしなければいけないんじゃないか、という話になりました。

 そこで初挑戦。今年は小説化に挑戦してみたいと思います。もちろん、日々の家事のやり方について思いついたことがあれば、エッセイも書くとは思いますが。実は一つだけ、試し書きした原稿があるんです、私。まだプロでないので、未熟さは否めませんが、しばらくおつき合いください。

昭和家族の妻

 百貨店の子ども服フロアまでエレベーターで昇り、洋子はファミリアへ向かった。孫の誕生日に贈る洋服を見繕うと、再びエレベーターに乗り、いそいそと地下の食品フロアへ。目当ては、神戸コロッケで売られているポテトコロッケだ。娘たちを育てていた頃にテレビで紹介され、行列ができていたと聞くけど、洋子が買うようになってからは、特にそんな面倒な場面には出くわさない。

 買ってすぐ、温かいところで食べたいところだが、洋子の年齢では、地下街の通路に立ったまま食べるのはさすがに気が引ける。持ち帰って、電子レンジで温め直しておやつとして食べることにする。

 たまに百貨店に来ると、このコロッケを買うのが楽しみだ。新婚の頃は商店街をよく使っていて、肉屋の店頭にコロッケは売られていた。試しに買ってみたことがあるけれど、脂っぽくて中身がスカスカで、気に入らなかった。自分でマッシュポテトをたっぷりつくって、ミンチもたっぷり加えてつくるコロッケの方が好きだった。電車に乗ってもまだ、ぼんやりと外を眺めながら、洋子は思い出にふけっている。

 子育てをしていた頃はよく揚げ物をしたし、コロッケは真友子も香奈子も大好きだった。クリームコロッケに凝ったこともある。真友子はどちらかといえばクリームコロッケを喜んだけど、香奈子はポテトコロッケがお気に入りだった。野菜を食べさせるまでは苦労したけど、ジャガイモなら最初から喜んで食べたっけ。私もおいもはジャガイモも、サツマイモも好きだから、香奈子の気持ちはよくわかったわ。ホクホクしておいしいのよね。

 クリームコロッケ! あれは本当に難しかった。ホワイトソースがまず、難しい。バターで小麦粉を焦がさないように炒めて、そこへ少しずつ牛乳を加えていく。すぐにだまになってしまうし、長い時間練らないといけなかった。何とかまとまったら、別で炒めておいたエビを加える。それを冷まして粗熱が取れたところで、冷蔵庫へ入れる。それから丸める。あら、丸めてから冷蔵庫だったっけ。遠い昔で記憶が薄れているわ。

 あの頃のホワイトソースブームって何だったのかしら。『きょうの料理』でも何度もやっていたし、テキストでも勉強したわ。あの頃、よくまあしょっちゅう雑誌を買ってはレシピを読んでいたものだった。娘が二人になってだんだん面倒になって買わなくなってしまったけど。

 クリームコロッケは、まとめたタネに小麦粉、溶いた卵、それからパン粉を付けて揚げる。ここまで面倒だったけど、難しいのはその先。うっかりすると、パン粉が破れて爆発しちゃうのよね。

「次は、M駅~M駅~」アナウンスを聞いて、洋子はハッとする。ここで降りないといけない。この最寄り駅が面倒なのは、階段を上って改札へ行き、それからまた階段を下りて、外に出る構造になっていることだ。昔の電車の駅は簡単で、プラットホームの端っこに改札口があって、すぐに外に出られたのに、いつの間にか大きくて面倒な駅ばかりになってしまった。でも、最近はバリアフリーだからと、エレベーターをつける駅も増えた。私は階段を上るのがおっくうで、最近はエレベーターを使ってしまう。いつから階段で息が切れるようになってしまったのだろう。

 

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