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余命宣告〜乳がんステージ4

今日は埼玉の実家から私の父と母が来て、父が買ったコンパクトではあるが七段のお雛様を飾りに来てもらった。
正直なところ、我が家にはスペース取るわ、両方とも働きに出てるわであまり精神的余裕がないので作ってもらえるならやってもらいたい。
父に来れるのかを聞いたら「おかあちゃんが調子良かったら行くよ」とのことだったが、2人してきてくれた。
父だけなら電車、母も行くなら車でとのことだった。

朝に2人で昼頃に来ると連絡があり、12時に来るものだと思って準備しているよと返事をしたのだが、11時10分につきそうとのLINEが来て、もうこちらの都合も考えてくれよと、夫も苛立ちを覚えるようなマイペースさ。産後すぐも似たような早い到着があったのでそれもあると思う。
どうにかこうにか部屋の掃除とゴミ出しと娘のご飯を終わらせ、30分過ぎに到着の連絡。駐車場がわからんと言われたので近くの駐車場を案内しに外に出た。

電話で誘導してようやく会える。家の周りをぐるっと大回りをしていたようだ。
母に新夕ちゃん痩せちゃった?と聞かれる。近くのコンビニで昼を買うが、父はコンビニなんか寄らない!とかいう。付き合ってくれよと思うが、ささっと買って出た。

この2人、2年前からお互いの悪口を言いまくるし、理不尽なキレ方をお互いするという、熟年離婚も今更出来ないだけの仲悪い関係だったし、去年もそれぞれ別日程で桃の節句の祝いをしに来ていた。
なので2人して来るのは孫パワーで仲良くなったんか?と思っていた。

12時ぴったりに家に着く。
夫も昼ごはんをなんとか食べ終わっていた。
娘はうちの両親にはまだ慣れてなくて人見知りですぐ泣く。
せっかく来てもらってるのに困ったなあと思いつつ想定内ではあったので、コンビニで買ったサンドイッチとスムージーを食べる。
母に食事を気をつけてるの?と言われたりしていた。

娘は泣いてから夫の抱っこで昼寝をした。
そこからひな壇の組み立てをする。去年、設計ミスとしか言えない部分があったのを父が覚えていて、大きい糸ノコギリのような手持ちの刃物をわざわざ持ってきて、調整してくれた。
去年は付属の設計図も他の商品のもので悩みながら作ったが、今年はあっという間に組み立てられた。
人形や小物たちをカバーや袋から出す作業を母も夫にやってもらい、私は人形たちに烏帽子や小道具を装着する任務にあたる。
組み立ての際に困らないように、人形を包む袋と小道具の袋に対応する番号と名前を記載したタグシールを付けていたのだが、大いに役に立った。というかこんな細かいことやってたのをやりながら思い出したが、非常に去年の自分は仕事ができてる。引継ぎをしっかりする思考は今の仕事についたから得られた思考だ。
母にも私がこんなにしっかりするとは的なことを言われた。後先考えないタイプではあったか…。
こうやっておままごとみたいにやっていくのが楽しみなんだねと、それぞれの人形につけていく作業は楽しかった。

一息ついて、取り寄せたお気に入りのコーヒーショップの豆を挽いてお湯をわかす。4人分のコーヒーを淹れるのに先に父と母に渡す。二人とも牛乳を足すだけでよかった。ここのコーヒー、美味しいけど不思議な味がするね。フルーティなんだよ。ああ、新夕ちゃんが好きそうな感じするねと話していたら、父からいきなり、
「お母さん、もう新夕にも言わないといけない。お母さんは乳がんが再発してもう長くない。」

「え?あ、あーそうなの…?」

母は2年前に乳がんが発覚し、抗がん剤治療や切除の手術を受けていた。去年あたりから治療は落ち着いて、髪の毛も伸びてきているところだったので、予後は悪くないものだと思っていたが、先月再発が発覚した。

べそべそと涙が出る。
「あー、公務員試験受かった以外クソな子供でごめん!」と泣いた。本当に迷惑しかかけてないし、嫌な思いもたくさんさせたと思う。
去年はこんな可愛い孫見せてもらえたからもう親孝行してもらえたとは言われたけど。

父は毎日泣いてるらしい。あなた、お母さんがいかに謝れない人間かなんて愚痴っていたくせに、なんで90過ぎてわけわからんくなってるような老人が生きててお母さんが死ななくてはならないんだと泣きそうな声で言っていた。
友達の親もガンで亡くなったけど、そのお父さんも同じこと言ってたのを思い出して言った。
父は不器用で家族のためにがんばっても伝え方だったりコミュニケーションが粗暴で諍いも多い家庭だったが、やっぱり家族のことが好きだったんだなと思った。

母はもうLINEで伝えようかなwとか言ってた。それはそれでその重さを表現するには軽すぎて困るので、今日でよかったかもしれない。
はっきりとは分からないが、1年から2年のようだ。

とりあえず新夕家で起きた孫と写真を4人で撮った。
この雛壇は娘が豊かに過ごせるようにと気持ちがこもっているわけなので、毎年積極的に私が飾り付けていかなければならない。いや、そうしたい。思い出の品物になってしまった。

母とこれからの時間でどう過ごしていこう。
月に一度ぐらいは帰省がしたい。
子どものころあまりやれなかったこととか、いまはお菓子作りに興味があるから何かを一緒にやることがしたい。

見送って帰ったあと、うあああとまた伏して泣いていたら、娘が覗き込んできて、めちゃくちゃ泣いてきた。
落ち込んでる気持ちを察したのかは分からないが、背中に抱きついてきたりした。

察するならうちの親に人見知り泣きするのやめてくれ…今日のは本気でつらくなった。
しかし慣れなきゃどうしようもない。

自分にできることはなんだろう。本気で考えてしまったのは第二子を産むことだった。少しでも生きるエネルギー源になりたい。

久々にたくさん泣いた。10代や20代はよく泣いていたけど、疲れて頭がぼーっとするね。

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