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いじめとコンプレックス論~映画『シンデレラ』を観て~
思いつきであるがレディースデーなので近所の映画館まで『シンデレラ』を観てきた。やっぱネット予約は便利でございますな。14時に14時45分始まりのチケットを予約。ぎりぎりになりそうだったし周りに人がいるのも嫌なので誰もいない列の真ん中を。予想通り、45分ぴったりに着いたので少しCMが始まっていた暗い劇場の中をスムーズに自分の席に着くことができた。
短編の『エルサのサプライズ』が一番の目当てだったのですが、やはり期待通りの姉妹愛で見ていて癒されました。
*****日記はさておき本題へ*****
Twitter上でいじめについて考えていた。何故人が、人をいじめるのかと言ったら、いじめっこ側が何かコンプレックスや弱さを抱えていて、自分より格下だと決めつけた相手の人権を阻害することにより、自己満足に溺れるというなんとも醜いものである。筆者も、どちらかというといじめられっこ側であったが、いじめっこ側であったこともある。本当に不毛なものである。
はっきりいって、「自分次第」や「忘れてしまえ」「気にするな」というのは思考停止である。結果論でしかない。最終的にそう持っていくにはどうしたらいいのだろうか。いじめられた人間は自分のプライドを守るために他人をいじめる負の連鎖を起こしてしまうのは自明だ。いじめられっこに性格の良い奴がいるだろうか。いない、とまで言い切るのはやめておくが疑わしいものである。
無意識に抑圧したコンプレックスが、本人はそのつもりがなくても、自分が見下した相手に対して差をつけていることは往々にしてある。私はもう25になる歳だけど、それでも同世代には友達間の優劣をはっきりと区別をしてきて、「あんたよりこの子の方が仲のいい友達よ」なんてみみっちいことをしてきたり、いじりの対象にするようなことなんかいくらでもあります。
一番気持ち悪いのは、「支援者」の立場を取って、レッテル張りをして「差別をなくしましょう!」なんて声高にいってるのとかですけど。これが私は好かない。利用すんな。いちいち言ってるんじゃねぇと。
*****『シンデレラ』に見る人間の特性*****
人は『シンデレラ』を観たら誰に感情移入をするのだろうか。女ならばシンデレラの不遇な状況に自分のストレスな環境を重ね合わせて玉の輿に乗る姿に自分を重ねて気持ち良くなるのでしょうか。
これは単なるサクセスストーリーではない。むしろ彼女を取り巻く人間たちの方が現実的でリアルな存在であり、シンデレラはあくまでも偶像、理想像でしかないのだ。
やはりいじめ、に勝つにはいじめっこに精神的な敗北を味合わせるしかないのだと思う。
勝ち負け気にしないならもうどうでもいい忘れろでいいのだけど、その後の人生でコンプレックスが無意識に追いやられて人を見下すことをしなきゃ気が済まない人格になるのなら、もうそれは戦わなければならない。
いじめは、無視しても終わらない。相手になめられるのを辞めさせない限り続く。
言葉は呪いになる。シンデレラは、本名がエラですが、シンダーという「灰かぶり」という悪口と合成された蔑称をつけられてしまい、今までの自分が全部否定されたかのような気持ちになったと言っていた。名前をつかったいじめってかなり人格否定の中でもえげつない。
そして、継母は自分は不幸な人生だと不幸自慢をし、社会的にお前は恥ずかしい存在だと、自分を棚上げして弱い立場をいたぶる。本当に大したことない人間性を持っているのはどっちなんだ。素晴らしい人格者ならそんな人を見下さなくても自分を保てるのではないか?
継母は再婚相手からの愛を得られなかったと思っていたのだろう。最初に、再婚した夫と、その前妻にそっくりな娘の絆に、嫉妬と敗北感があってシンデレラにきつく当たるようになったのだろう。コンプレックスは恐ろしい。
ここで、継母が自分の愛娘に誇りが持てればこんなことにはならかったのだろうが、このバカ娘たちもなかなか不幸だ。馬鹿で見た目しか取り柄がない。だから自分より能力や美貌のある人に対して、「あんなやつ、ここが駄目であれが酷いのよ」と悪口を言って気を晴らすのだ。
最後シンデレラが継母にあなたを赦しますと言ったのがなぁ。「ざまあみろ」ぐらいやって欲しかったのが本音ではあるが、まあ善良さも勇気もなく、浅知恵しか働かない継母にはあれが一番堪えただろう。あの人は馬鹿娘と裏切り者の太閤と他国で楽しく過ごすのだろう。それもまた1つの解だ。
まあ、グリム童話の本家シンデレラは継母もあのバカ姉も全員地獄送りにするという痛快人情劇なんだが、それだと気高さがなくなりますね。強く、優しく、美しく。優しさと勇気がプリンセスの本質であるのだと。
*****魔法使いと権力者*****
フェアリーグッドマザーの魔法の力でシンデレラは馬車とドレスと付き人と御者を手に入れて舞踏会へ行く。
この魔法使い、最初に乞食の出で立ちでシンデレラを試す。優しいかどうか。その課題をシンデレラはドレスを破かれ馬鹿にされた後の傷心状態でありながらあっさり人のために動いた。
私は、この魔法使いは現実世界に即して考えたら「お金持ちの自分のことを好きでいてくれる人」なんだろう、と感じてしまった。お金さえあれば綺麗なドレスもタクシーもすぐ呼べるのだ。
こんなお金をぽんとすぐに出してくれる。この子の喜ぶ顔がみたいからプレゼントをする。こんなことをできる気持ちにしてくれるのは愛の力である。
言い換えれば、人にやさしく、誠実であれば、タダで貰えるものがある、ということだ。シンデレラのドレスや馬車は、本来はボロボロにされたドレスやねずみたちだが、ガラスの靴だけは、ボロボロの靴から創られたのではなく、魔法使いが「これだけは得意なのよ」と、本物をプレゼントされた。だから、王子様との結婚につながる証拠が残せた。この話で最も、シンデレラの優しさと勇気と愛を結晶化して具現したのが「ガラスの靴」なのだろう。
自分のいる社会の中で、一番の権力者に味方になってもらえることが、弱者やいじめられっこの成功のために必要なのかもしれない。しかし、これはたまたま助けてくれたのが王子であっただけで、実際では誰でもいい。だが、わかりやすい権力者が味方になった方が気持ちとしては気が晴れる。
この味方になってもらうには、打算的な付き合いではいけない。ここで人間の本質や優しさや勇気が問われる。右脳的な感覚の世界での信頼の方が強いのだと思った。太閤と継母は、この感覚が一致したのだから仲が良くなった。こういう社会もあるのだ。他国で幸せになってもらいたい。
*****まとめ*****
この話を見るときに、シンデレラに同化して、継母たちざまぁみろーでは、はっきしいって継母たちと変わらない感性なのである。どうしてここでこういう行動をとるのかについて考えてみると面白いのだと思う。
コンプレックスは解消した方がいい。その方が優しい人間になれる。
演技者もCG演出も素晴らしい映画だった。ぜひまだ観ていない方は映画館に行ってみて欲しい。