29歳でガンのステージⅣだった
信じるか信じないかは読み手の自由だが、事実である。
まぁ読む人が読めばその辺はわかるだろう。
プライバシーの問題もあるので診断書とかは載せないつもりだ。
ガンのステージというのは、治療の方針とかを決めるわけだが、ステージⅣはその最後だ。
手術もできない。
放射線治療もない。
そんなものは通り過ぎてしまった。
全身に転移している。
食道といわれるところが発端だ。
胃と大動脈に行っているらしい。
あるのは、残された時間を少し、ほんの少し伸びることを期待した抗癌剤治療(治療と呼んでも、本当によいのか、と先生が悲しそうに仰っていた)がこれから始まる。
現代医学には、これを完治させる術はないのだ。
見つかったきっかけは、少しの腹痛だった。
本当に、ちょっとした痛み。
ただ2024年2月21日、真っ黒な便が出た。
これはまずそうだと、その日の仕事終わりに近くのクリニックに飛び込んだが、「ここでは処置できない、早急に大きな病院への紹介状を出すのでそちらへ」といわれ「寄り道など考えず、家にも帰らず、真っ直ぐ病院にいくように」と念を押された。
大きな病院で、夜間救急の対応の方々に促され、あれよあれよという間に腕に点滴、心電図の装置がつけられてベッドに横になる。
口は元気なのでずっと看護師さんと喋っていたが、CTを撮った結果、十二指腸のリンパ節のところに反応があったらしい。
医師の方も、胃潰瘍などによる出血を疑っていたわけだが、それどころではなさそうだとの所感だったそうだ。
前の病院から連絡を受けて内視鏡の準備は既に整っていたので、直ちに胃カメラを飲むことになる。
そこで「今日は帰れないですねぇ」とはじめて聞かされ、鎮静剤であっという間に眠りに落ちた。
その日の晩はHCUに入り、先生からは「食道部分で大量に出血があったので輸血をした」と説明があった。
これまで何度か献血をしたことがあったが、まさか自分が受ける側になるとは。
これで私はもう献血はできない身体になる。
そんなことを考えながら眠れぬ夜を過ごした。
翌朝も胃カメラになり、再度眠りにつきながら検査があった。
その日の夕方、先生から話を聞くことになる。
「覚悟はいいですか?」
CTの画像と、自分の胃の中の写真が出てきた。
食道の中に、大きな山が少なくとも2つ。
「食堂胃接合部がんと思われます。生検をとりました」
前に聞いていたのは十二指腸だったので、この時点で(最悪ステージⅣだ)と直感的にわかった。
「この病院では手がつけられない、早急に大学病院やがんセンターなどにいって治療を受ける必要がある」
私は一人暮らしだったので、そんな中で治療は不可能。
直ちに親を呼んで説明をし、家族などサポートが受けられる体制での治療を目指すことになった。
※結果的には、家族や親戚の多い関西に帰っての治療となる。
だがここで問題があり、ずっと点滴で絶食であったこと、大量出血の影響もあって私がフラフラだった。
入院をした日から数えて、3日目に親が来たが、その説明をすべて聞くことはできなかった。
そんな私を見て、父親はたいそう心配しただろう。
まぁ、その日の晩から食事が出たので体力は徐々に戻っていった。
最初は、重湯200gと具無し味噌汁。
それでも、食事は大事だ。
重湯から、五分粥、そして全粥になるにつれて、お米の美味しさを噛みしめることになった。
さて、関西の大きな病院へすぐにでも移りたかったが、あいにく三連休があったので月曜日からの動き出しとなった。
そして月曜日、先生から報告がある。
「今から最短で予約をとると、3月15日だけど、そんな時間じゃ待っていられない容態だ、と伝えたら2月28日に行けるらしい、どうしますか?」
早いな…
「行きます」
行くしかないだろう。
まだ微熱は出ていたが、それは薬でなんとかなる。
翌朝退院し、荷物をまとめ極力最低限の荷物だけを手荷物にして新幹線に乗った。
ちなみにギターは一本担いでいった。
そして28日、冒頭の先生のセリフに戻る。
今でも信じられない。
とりあえず、色んな人に連絡した。
連絡しなかったら後悔しそうな人、抗がん剤で苦しいときに背中を押してくれる人、いろいろだ。
あと、受け入れるとか、そんなものは無理だ。
だってそうだろう。
まだ生きているんだから、統計的には1年とかで死にますなんて信じられるわけがない。
だって、まだこんなに元気なんだ。
少しお腹が痛いくらいなもんだ。
食中毒のほうがよっぽどキツイ。
だからもう、戦うしかない。
敵は、元々同じ自分の体の細胞だ。
まさかこんなところでバトルアニメの最終ボスみたいなことになるとは思わなかった。
絶望感しかない。
だが、自分の細胞を信じたい。
そのために食べる。
血を吐いてでも食べる。
生検を先週とったので、その結果を踏まえて抗がん剤の投与がそのうち始まる。
まだ元気なうちの最後の手記がこれだ。
ここから先は競争になる。
願わくば、この続きが出ることを祈っておいてくれ。