生きる間は自分の足で歩く
夜にこの曲を聴きながら読むのが個人的にはいいと思う。入りのシンセが良い。各楽器パートに見せ場があるのがいい。
結論「好き」
人間が歩くのに誰かの手を借りていくのは、産まれてすぐ、怪我をしたとき。
そして、死んでゆくとき。
足の動かない人は足の代わりにその手を。その手が動かぬ人は目で。耳で。
使えるものすべて使って、自分を背負っていく。
僕の祖父はお坊さんだったんだけれど、遊びに行ってもバイバイしたらすぐに玄関から離れ、全く見送らない人だった。
理由はこうである。
「最後まで見送るのは死んだときだけでいい」
たくさんの人を見送る人だからこその言葉だなと思う。
亡くなる前にもっと喋っておけばよかったな。
そんな後悔が伝わったのか、夢枕に立ってくれたな、とふと回想する。
いつもの場所で、いつもの笑顔だった。
僕は重たいものが好きである。
だから筋トレも大好きだ。
これを背負っているから、僕は生きているのだと考えている。
学校で習うように、力には作用と反作用がある。
より前に力強く進むためには、強く地面を蹴る必要がある。
強い摩擦、それを生み出すためにはより重くあるべきだ。
だから重たいものを持ちたいと思う。
どうか、背負わせてほしい。
これらが、熱出てぼうっとした頭から抜け出たもの。