命綱としてのイヤホン
今朝、隣の病室の女の子が退院していった。
アナ雪のレリゴーをよく歌う子だった。
窓越しに聴こえてくる声を聴いて勝手に盟友のような気がしていた。
息子は小児科病棟での一番の長期入院者となった。
昨晩、息子の足に再び紫斑が現れた。
ステロイドの投与で綺麗になったはずなのに。
薬の量が減ったからだろうか。
昨日、ベッドの上でとはいえ起きて一緒にPCをいじっていたからだろうか。
多動児にしては頑張っていると思ってたけど油断して安静にできてなかったかな。
ここしばらく経過が順調だったので、自制をしていたつもりだけれど
来週には退院できるのではないかとだいぶ期待してしまっていた。
紫斑が出てしまったので薬は減量できない。
増えはしなかっただけよかった思うべきなんだろうけれど、ね。
数日遅れの豆まきすら、娘と一緒にすることが叶わなくなった。
正直ショックで、がくんときた。
入院後に書いている日々の記録もノートに書く気がしなくなった。
動画も見る気がしなくなったし、夫の差し入れてくれた小説も読めない。
簡易ベッドの上で眼鏡をはずしてぼんやり横たわってた。
看護師さんに
「お母さんずっとですもんね。リフレッシュできてます?」
と言われたのを厚意として受け取れないほどにささくれだってた。
ひとりになれないならひとりになればいいのか、とふと思い立って。
持ってきていたイヤホンをつけた。
よく車で聴いていたKing Gnuを大音量でかけて、新しいアルバムを全部聴いた。
目を閉じて脱力して、外からの刺激を全シャットダウンした。
息子のチックの咳ばらいとかゲーム音とか、結構鬱陶しかったんだな。
看護師さんや先生がいつくるかわからない薄っすらとした緊張感が24時間続いていたのにも疲れてたんだな。
「いつまで」と期限がなくて見通しが立たないその日暮らしというのもしんどかったんだな。
独身時代から「おひとりさま大好き」な私にとって、息子とはいえ別の人間が常にそばにいるのは息苦しかったんだな。
好きではないとはいえ、妻でも母でもない自分自身として、唯一の社会との繋がりである仕事を失うかもしれないという恐怖を考えないようにしてたんだな。
なんかしらんけど、独身時代に飲み歩いて深夜のタクシーから眺めてた夜景とか、山手線とかの景色が瞼の裏に浮かんできて。
私が自由だった時の象徴の景色ってことなのかな。
(あー息子が見てるかもしれないけどもうどうでもいいやー)
って思いながらぽろぽろ涙を流した。
仕方ないもんね。
遠方の実母を頼らないと決めたのも私。夫も理解して文句を言わずに頑張ってくれている。
硬いベッドにも慣れてきた。
ここから一か月はかかるまい。
苦手で好きじゃない家事をやらなくていいんだからのんびりやっていこうかね。
息子の全細胞がんばれー。