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発達障害を抱える子どもと過ごす中で

年始に息子がIgA血管炎で入院をしてから、すっかり時間が経ってしました。
あれから息子は25日間の入院生活を終え、自宅療養期間を過ごし、それから学校に少しずつ登校できるようになりました。
主治医にも「完治」と言われたけれど、約3か月間安静を告げられていた8歳の体はなまってしまったようです。
リレーの選手だった瞬足は、クラスの平均より1秒遅くなり、トランポリンを300回ノンストップで跳んでいた脚力も衰えたようです。
…もちろんまだまだ多動ですが。
(でも私の手を振り払い、道路へ飛び出していく2歳の頃に比べたらずっとマシ。)


巷でもよく言われることですが。
発達障害を抱える子の親は、精神的負担が本当に大きいです。
定型児であれば通じる指示が通らない。
タイミングを見計らって、言い方を考えて、見通しを持たせて声をかける。
一日中、考えてる。そんな日々、疲れてしまう。

今回の息子の入院の後、私も疲れ切ってしまいました。
息子の完治を待ってから仕事復帰しましたが、『日常』が戻ってきてから1か月が経った頃、身体が動かなくなりました。
年末の不調からずっと張りつめていた緊張がほどけたのだと思います。
ちょうど本格的に日本中がコロナ禍に陥った頃。
外食ができなくなって、日々の緊張感が高まって、テレビもニュースもコロナ一色になった頃。

『日常』がまわらなくなったこと、回していく力が湧いてこないことを自覚し、退職を決めました。
「転勤族の妻」で「療育に通っていた兄妹がいながら」「呼び出しが人より多い」「ワンオペ育児」の私が続けられた仕事でした。
仕方ないことですが、息子の入院中について申請していた介護休業も当然ながら給付はありませんでした。
(半年以上、仕事の継続が見込まれる人への給付のため。)

今は自宅でのんびりしながら静養中…と言いたいところですが、一日中忙しい。
手帳のタスクは全然減らず、いつも時間に追われている。
それなのに私の胸にあるのは「なにも出来ていない」「なにもしなかった」という空っぽの気持ちばかり。
このまま自分の手元に何も残らないまま年を重ねていくのだろうかという漠然とした不安に包まれています。

そんな中、中高時代の親友とZoom飲みをした際のこと。
仕事ばりばりの千手観音みたいな友達からの指摘で目が醒めた。

「発達障害のことでめっちゃ工数とってない?それ書き出してみなよ」

そうねぇ。
確かに、今の日々は対応と勉強に追われてる。
ざっと考えても、
・息子の癇癪の履歴の記録と整理
・関連する本を読んでインプット
・サポーター’sスクールの勉強
・デイや学校との電話なんかもよくする
・発達相談の資料準備とそのまとめ作り 
・…からの関連するところへの情報連携
・相談時の宿題をこなして自宅で実践
・自宅の環境整備        …もっとあるかな……

というわけで。
息子の病気自体は完治したし。
こちらのnoteは発達障害があるうちの子をめぐることや、私のことなんかをこれからは書いていこうと思います。
発達あるあるなんかになっていくのかもしれないなぁと思っていたりします。

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