本当の気持ちがわからないのは、自分は知っている、と思っているから
うちの子は現在、中一、タータといいます。
小五からの不登校以来、友達が少なく、私立に進学し毎日登校するようになりました。しかし友達が少なく、寂しがっているのが傍目からわかります。しかし、友達いなくていい、と言っていますが…
新学期が始まったら、タータはどうするの?と聞くことから、話しかけ、本当はどうしたい?本音はなんだろう?と話をしてみました。すると、
「わからない」
「なんで、自分の気持ちがわからないんだろう?」
「本当の気持ちがわからないのは、自分は知っている、と思っているから」
自分の気持ちを知っているつもりが、それは本当の気持ちではない…
それは、わたしもそうだし、わたしたち以外に自分の気持ちが見えなくなっている人は、きっと少なくないでしょう。
タータにこんな話をしました。
「本当の気持ちを知るのは、こわいね。叶わなかったら悲しいもの。
友達あまり欲しくない、クラスの子と仲良くしなくていい、と言ってたけどさ…それは本当の気持ちかな?
タータは、本当は人とコミュニケーションするのが大好き。
しかし、今は人に拒絶されるのが怖いから、コミュニケーションを諦めている。友達と遊びに行くことや学校行事を本当に楽しみにしているじゃない?
タータは、赤ちゃんの頃から、知らない人とコミュニケーションするのが大好きで、いつも知らない人に笑顔や愛嬌を振り撒いていたんだよ。その人たちはどんなに嬉しかったことでしょう。
それに、コロナ前まで、知らない外国人にカタコト英語で話しかけていたね。
小4まで学校大好きで、多少友達とトラブルがあっても乗り越えながら、クラスの活動を楽しんでいたよね…
コミュニケーション大好きなのは、たおの愛。
試練があっても、諦めないで。今できることをやってもらいたいな。」
この話を聞いて、タータは少し泣きました。
悲しいことを思い出したのかと聞いてみると、その逆で、嬉し泣き。
同級生から、クズだの、バカだの、言われてきたので、「愛」と言われて嬉しかったのだと。
まあ考えてみると、子供は、そして、人間は元々、愛、なんですよね…
ただ、恐れで曇り、見えなくなっているだけで…
タータに、わたし自身の「愛のなさ」も少しですが、話しました。
長い間、自分のやりたいことがわからなかったこと。
自分の本当の気持ちが叶わないのが怖くて蓋していたこと。
だから、自身の気持ちがわからない人の気持ちが多少わかるのかもしれない、そんなようなこと。
タータが寝落ちしそうになったので、話はこのへんで終わり、歯磨きさせました。
わたしは、本当の気持ちより、できそうなこと、都合の良さそうなことを選んできました。
だって、愛や真実は、限りなく、果てしなく、先が見えず、試行錯誤の連続で、予定も予算も立たず、まったく途方にくれてしまいます。
本気のいらない、ふんわりした「好き」や「お気に入り」、で、気持ちを満たすのは、先が見えるし、予定も予算も立ち、安心です。
しかし、今、何者でもないわたしは、写真に関わるアートを通じての社会貢献を志し、この、限りなく、果てしなく、途方にくれている今ここに、どうしようもなく、ときめき、を感じているのです。
それにしても真逆です。
自分の本当の気持ちがわからなくても、無理せず予定調和で安心したい。
自分の本当の気持ちを知って、無理してでも未知の世界へ挑戦する。
愛や真実を知るのに、時として冒険が必要なのは、この宇宙の遊び心なのかもしれないですね。
今日もありがとうございます。