Flemecoとの出会いは自分の内側との出会いだったかも
フラメンコを踊り始めたきっかけ...
それは、その音楽が好きだったから。
この音に合わせて舞うことができたら素敵だと思っていた。
その音は、どこか懐かしいような気持がしていた。
インドを起源とするロマ族がアンダルシアに根付いてインド発祥の民謡とスペインアンダルシアの民謡とが融合され生まれた、フラメンコ音楽
迫害を受けた辛さ苦しさ、愛、強さ、情熱 様々な歴史に基づいた民族音楽
その、決して踊りや衣装に見て取れる、華やかさだけでない 音に込められた何かにとても魅かれていた龍子さん。
地元のカルチャースクールでフラメンコ教室があるのを知り
恐る恐るそのクラスに入ってみた。
先生は、憧れに匹敵する♡素敵なFlemecoダンサー。長身で顔立ちも日本人離れしている。
でも、とても厳しくて、始終怒られてばかり。できない事が多くて、、、カルチャースクールの更衣室でクラスメイトと涙しながら着替えたり...
それでも数年たつと カルチャースクールからは卒業し、先生のstudioへ通うようになる。上級者クラスにあがり舞踊団の方々とレッスン。ついていけないことが多々あり 日々、夜の公園やstudioを借りて(有料 (笑))稽古する日々。
フラメンコ それは三位一体の世界
バイレ(踊り手)ギター カンテ(唄い手)どれが欠けても成り立たないとされている。
唄い手(カンテ)の叩くパルマ(手拍子)も音楽になる。踊り手の踏み鳴らす足の音(サパテアト)も。音と舞が一つになったものが 本来のフラメンコの姿
何度も何度もしかられて その叱られ方は、踊りがどうのというよりは、人格的に否定されているようなそんな口調。心の底から辛かった。
それでも踊り続けた。足掛け15年。家庭の事情や金銭的理由 体調などで 中休みはあったものの続いたのは やっぱり好きだったから
踊っている自分が好きだった。表現したいと思った。
それが よい 悪い うまい 下手 関係なく
ある発表会のステージで 先生と同じ舞台に立つことができた。緊張した気持ちは、どこかへ、宙を舞ったような そんな感覚を覚えている
憧れの人と踊っている! すごいことが起きたと思った。
自分の踊りと、足の音 バックのカンテの歌声とギター パルマ...
すべてが一つの舞台を創造した。
ーーあ、いま 一つになっているーー
至福のバイブレーションが全身を包んだ。今までで一番心地いい。
これか。。。これなんだ。。。泣きそうになりながら
一曲。二曲....
その後 す===っと フラメンコから離れた
堪能しきったんだと思った。
『人は やり切ってしまえたら 自分に〇がつけられる』
いつも、叱られてばかりだったから 劣等感の塊でスタジオに向かっていた。褒められることはまずなくて過去に、数回だけ「muy bien!!」 と言ってもらった程度。
そのステージで自分が自分に「muy bien!」(素晴らしい)と言えたから。
『誰に褒められるわけでもなく
自分が自分を認められると 次のステージに進める』
ここで 一つステージクリアしたみたのかもしれない