[RRR]RRR考察 1)法による無法と自力救済

RRRは18回見ている。15回くらいでなんか悟りが開けたのでしたためたい。
前提として、私は法律学・社会科学系の人間である。何度もみて、やっと自分の得意な分野の視点で自分なりの考察ができるくらい見慣れたのかなと思っている。ネタバレには配慮しないのでご注意いただきたい。これがひとつめで、全部で7つほどしたためる予定。

★なぜラーマを警察官にしたのか


インターバル前の戦闘はずっと早く終われ~!と思うシーンだったけど、15回目でふっと気づいた。
ラージャマウリ監督はなぜアッルーリ・(シータ)ラーマラージュを警察官にしたのか?
コムラム・ビームがムスリムという方がインパクトありすぎて、ラーマのことは考えていなかった。(ビームの方は脅迫されたり訴訟くらったりしてる)

警察官がいるということは、RRRの世界で自力救済は禁止されているということを意味する。(詳しくは自力救済の禁止で各自ぐぐってほしい。)
そして、RRRの世界の英国は凶悪で、行政権を握り、法律を勝手に作り、インドの国民を抑圧することを正当化しまくっている。つまり、法自体が無法を働いているといっていい状態である。
このような状態を悪法による無法と呼称することにする。

では、自力救済が禁止されている世界で悪法が無法をするときどう対処すべきなのか?
ときは1920年、歴史に悪名高いローラット法成立後のインドである。自力救済、不服従…ガーンディーーーーー!そう、禁止されているからといって自力救済しなければ搾取されつくして滅びるだけなのである。自力救済するしかねーのである。
一方、自力救済としての不服従を犯罪として処罰するのが警察官の役目である。そのせめぎ合いを描くにあたり、悪法による無法、自力救済、そこに挟まれる悲哀の象徴としてラーマを警察官にしたのだと思った。このストーリーでこの設定はうますぎる…!(映画館でもだえた)

ビームにとってはマッリを自分で救い出すのは当たり前の自力救済である。母に誓って罪はおかしていない。(ビームにとっては。ビームにとっては!)しかしラーマに話せばわかる、はずがない。罪の根拠が違う。ビームはビームの良心に従っている。ラーマは(ほとんどイギリスが定めた)法令に従っている。悲しいすれ違いで、ラーマは法に従い、法に背いたビームをどうしても罰さなければならないのである。ラーマの良心がいくらビームの道理が正しいと叫んでいても。

スベシャルオフィサーオファーがあるのでラーマ個人の受益のためという側面もあるのだけれども、例えオファーがなくてもラーマは不服従を許容できない立場であるということだ。しかし、それがビームには分からないのだ。カーキ姿のラーマを見たとき、ビームは見逃してほしかったわけではなく、良心から道理を説いていたのである。まさに成文律と不文律の友情。ものすごく本質を言い表していたフレーズに泣ける。(英語スクリプトやまとんマサラ先生のテルグ語歌詞訳を参考にする限り、藤井さん(山田先生?)のオリジナル要素が強そうだけど。だとしたらさらに偉大すぎる!)

★ゴーンド族と法


ゴーンド族は素朴で羊のようにおとなしいらしい。ニザーム藩王国顧問ヴェンカタ・タワターニ氏が言っていた。
(日本語字幕では少しあいまいになっている部分だが、英語スクリプトでは明確にゴーンド族全体を指して羊の群れと言っている。)
これは、悪法による無法に抵抗する術を持たなかったと言い換えることができる。史実でもひどい目にあっている。(主にニザームによって。)
彼が抑圧と言ったのは、実際にやらかしたのか、仮定の話なのか。(蛇足ながら、ビームの代名詞として大人気の「羊飼い」は上記の文脈で出てきたワードであるため、顧問氏のたとえ話の中だけの呼称かもしれない。ゴーンド族に羊飼いとか言ってもきょとんとされたら悲しいね)

さて、法が味方になってくれないなら、抵抗するには自力救済しかない。5月のタラクさんお誕生日上映でみたシンハドリを参考にすると、インドにおいて自力救済はけっこうまあまあ最近まで当たり前だった…ということらしい。自力救済が働く=警察はあまり役にたってくれないということ。これは前提にしておいてよさそう。
一方、ゴーンド4人にとって警察官が敵というのは共通認識らしい。橋の下でラッチュが警察官の話をしたらめちゃくちゃ動揺していた。無法の前にゴーンドのライフスタイルを法が考慮してくれていないという大きな問題もありそうではあるが、この4人に限っていえば、デリーでやらかしたのか、そもそも敵だと思ってたのかは特定できる要素がない。ニザームが英国側にちくったのは知らないはずなので。役に立たないけど害は及ぼす(ロバートとかトーマスとか)、という共通認識がありそう。

警察権、もっと広く言えば行政権の権威が高まるのは近代性のエッセンスでもある。昨日まで普通だったことが突然禁止されるとか。(インボイスとか!増税とか!)
そこでは、ゴーンド族的な旧来の暮らしと、デリーの都会のような近代性の衝突が必ず生じるということとも読み取れる。

★アニマルアタックの悲しみ


アニマルアタックはビーム、またはビーム一派の「個」としての自力救済である。あのシーンで注目したいのは、動物たちがどれだけ英国兵を壊滅させたかわからないけど、ビーム自身は英国兵を自発的には攻撃していないというところである。攻撃を目的としていないというか、攻撃されたら反撃するけれども、基本的には受け身なのである。ビームはただマッリをさがしているだけ。

ロバートは鍵をおとなしくわたせばひどい目にあわなかったはず。
ジェニーが殴られそうになったのはおそらく背後からこっそり近づいたからではないかと思っている。(ジェニーは車に乗るときにドレスの裾を直している=ある程度自発的に車に乗っている。ビームがむりやり車につっこんだわけではないといえる。)

つまるところ、ビームは英国は別にどうでもよかったのだ。ただ、悪法による無法への個としての自力救済が結果的に英国による植民地行政への不服従行動になってしまったのである。そうみると、動物たちの迫力やビームの強さで目がくらんでしまうけれども、全体的にみればあまりにも弱々しい「個」による、勝ち目のない(不服従行動としての自覚すらない)戦いなのである。

★ラーマのアプローチ


アニマルアタックがあまりにも勝ち目のない戦いだとすれば、インターバル前の戦闘において、ラーマは自力救済を認められないという前提においてできることをやっている。めちゃくちゃ体を張って!

ラーマは最初「アクタル」に呼び掛ける。
これはまだ関係性にすがっているといえる。
ロンギポーと言い続けるのは、投降以外に大好きな彼らを救う手段がないからである。ここで説得できたらびっくりだけども、言わないで見殺しにするより言った方がましなのである。かわいい弟が犯罪者になってしまったから殴ってでも止める、というように単純に解釈することもできる。ただ、弟の道理の方が正しいとわかっているのが辛い。あと弟めちゃくちゃ強い。

そして、最後は「ビーム」に呼び掛ける。
このとき関係性はすでにビームから絶ち切られている。その象徴が破片でビームを刺せないラーマと唯一自発的に持参武器を使って攻撃した相手がラーマであるビームの対比によって表される。
関係性がないのであれば、アクタルによびかけても意味がないので、ラーマはマッリの命を盾にするしかない。マッリに銃を向けること自体無法というかただの理不尽だけども、ロンギポーの前にラーマはスコット提督が出てきているのを目視確認して、マッリが危ないことを悟っている。

つまり、ラーマが行政権の一部として犯罪者に宣告するのが「ビーム」への「ロンギポー」である。本当はビームの命を救いたくてたまらないのに、そのためには白人にビームを引き渡す以外に道がない。そりゃあ血涙もでるというものですよ…

★「アンナ」と「ビーム」


えっラーマがはじめてビームの名前呼ぶのがそこ??????????
まじで????
ビームがラーマを「アンナ」とテルグ語で呼んだのが毒蛇の後のベッドだったこととの悲しすぎる対比。けれども見事に、本当に見事に鏡写しになっている。ことに気づいてまた泡ふいた。
どちらも呼ぶ方は自分の全てを尽くして相手を救いたいのに、そのために呼びかけているのに、呼ばれた方は死刑宣告にも等しい激しい痛みを受ける。アアアアアア…

普通ここから修復できるとは思わないけど、できるどころの騒ぎではないのがRRRである。

次回に続く!


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