母のいる場所が、私のふるさと
「母に会いに行こう」そう思い立ち、保育園帰りの娘を連れて東京駅から新幹線に飛び乗ることがある。長期連休以外で、半年に1回ほど。
ちょっと頑張りすぎたかな。そう感じるタイミングである。
新幹線の中で「今日実家帰るね」とLINEする。
普段まめに連絡をしない娘からのLINEに、母は驚くこともなく、
「あらそう、わかった~」と返信。末っ子の私の気まぐれな性格は、母は百も承知だ。
実家の最寄り駅まで車で迎えに来てくれる。
「おかえり~。夕飯食べた?」と母。「新幹線の中で軽く食べたからいいや」素っ気ない返事の私だけど、運転席の母の背中にほっとする。
家に帰ると、母の手料理が並ぶ。料理上手な母の手料理はどれも美味しいけれど、それよりなにより、全てを受け入れてくれる、この母のゆる~い雰囲気が大好きだ。
なにもいわなくても、察してくれる。「相変わらず頑張ってるんだね」と言葉では言わないけど表情でそういってくれる。
ちょっとぽっちゃりしていて、垂れ目な母。
この母に会うことで、私は最大級に癒される。
妙になつかない猫。(数年前に実家で飼いはじめた)
ソファーの角は猫に引っかかれてぼろぼろ。
着替えなさい、と差し出されるよれよれのTシャツとジャージ。
粉洗剤のみで洗ったごわごわしたタオル。
風呂場には未だにボディソープではなく花王ホワイトの固形せっけん。
深夜に差し出されるパピコの半分。(ダイエット中なのに・・)
あー実家に帰ってきたなあと思う。
でも、実はこの「家」は私が育った家でもなんでもなく、子供たちが実家を出てから引っ越し、購入した家だ。
小さいころから引っ越しが多く、小学校も何度も転校した。
だから私は「家」や「場所」自体に愛着はない。
母がいる場所、それが私にとってのふるさとだ。
母は「モノ」に執着しない性格だ。毎年母の日になにかをプレゼントしても、もらった瞬間は喜ぶのに次に実家に行くと埃をかぶっている。「モノ・コト」よりも「気持ち」が優先なタイプ。
先日「料理をやめた。料理をつくらなくても、幸せな食卓はつくれる。」という記事を書いたが、私のこういう「行為そのものにあまり固執しないし、そこに罪悪感を抱かない」という性格は母譲りだと思う。
母の料理で好きなものはあるけど、忙しい父が家にいないとき、母と姉と私で近所のガストとカラオケに行ったのが楽しい記憶だ。
母に会うことは、どんな栄養ドリンクよりマッサージよりリラクゼーションより、私を癒し、明日を頑張る活力を与えてくれる。
私自身は娘に大したことはできていないけど、せめて彼女が安心できる拠り所になることができたら嬉しい。だから、なるべくバタバタせず大らかな気持ちで接し話を聞いてあげたい。
今年のお盆は実家に帰れないと母にいった。
いつでも帰れない、とおもうと急に恋しくなりこのnoteを書いた。
次に帰れるようになるのはいつになるかわからないけど、それまでは踏ん張っていようと思っている。