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BALANCER No.3

ここは、とある国立理化学研究所だ。

俺とフミヤは並んで今回の案件の関係者、井村依子の待つ応接室へ向かった。

約束のジャスト5分前にノックすると、室内から井村の弱々しい応答の声が聞こえた。

「どうぞ、お入り下さい。」

「お待たせ致しました。保険調査員の高田と、調査助手の桜庭です。」

俺は偽名を使ってそう自己紹介すると促されるまま井村の向かいのソファーに座った。

桜庭と名付けられたフミヤもそれに習う。

俺とフミヤのちょうど間の正面に座る井村は姿勢正しく足を揃え、白衣を纏った姿で相対している。

以前、テレビの会見で見た時よりも幾分老けて見える。

今回の件の影響で心身ともに弱っているのだろう。

白髪も混じっている様だ。

世間では注目の研究成果を挙げた美人研究者として話題になった目立つ容姿も、今では影を潜めている。

彼女の眼をまっすぐ見つめながら、俺は用意していた言葉を吐いた。

「この度は、お悔やみ申し上げます。教授が突然あんなことになって、井村さんも大変な思いをしているでしょう。そんな中で色々お伺いする時間を頂いてしまい申し訳御座いません。無理のない範囲で分かる事は教えて下さいますか。」

俺の問いに対して、井村もまたまっすぐ視線を返しながら力強くうなずいた。

それに安心感を抱きながら、俺は続けた。

「ご協力に感謝します。教授は亡くなる前の様子はいかがだったでしょうか。何か変わった事、気持ちが滅入っている様子等はありませんでしたか?ほんのささいなことでもいいんです。井村さんが印象に残っている事、気づいた事などあれば何でも教えて下さい。」

井村は表情を変えず、時折宙を見つめ何かを思い出すような仕草をしながら答えた。

「あの会見の後ですから当然世界中の注目を浴びて疲労していました。自分の発表した研究結果に誤りがあるだなんて最後まで認めていませんでしたし、あの細胞の発見は人間の医学が次なるステージへ踏み出した証明となる…そう確信しているようでした。マスコミが指摘したあの実験結果は、教授もとても驚いていたようで…とても信じられないと…誰かが私をハメたに違いないと呟いていました。…ですが、日々マスコミや嫉妬した学会の連中に糾弾され、だんだんと自信を失い、疑心暗鬼になっていっていました。あんな風に最期を迎えるだなんて思っていませんでしたけど…今思えばそれくらいに落ち込んでいたのかもしれません。最後まで自分の発見した成果を疑ってはいなかったと信じたいのですが、どこかで何かが間違っているのかもしれないと、絶望を感じたのか…」

そこまで話すと、井村は少し俯きながら目元にハンカチを運び、溢れ零れそうになった涙をぬぐった。

「ご無理なさらず…時間は気にしないですから。ご自身のペースでお話下さいね。」

桜庭は、絶妙なタイミングでジャブを入れる。

心の隙間を開くジャブだ。

「…ええ。ありがとうございます。落ち着いて振り返ってみると、私が彼のその絶望に気づけていれば、最悪の結末を迎える様な事にはならずに済んだのではないかって、そう感じているんです。彼にはあの研究が全てだった。」

俺は、彼女の表現が教授から彼に変化したことに気づいた。


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