献血ルーム
献血ルームで受付の仕事を始めて3年が過ぎた頃、初老の男性が訪れた。事務手続きをするために声をかけると、男性はこんなふうに一方的に話し始めた。
「ずいぶんいい感じじゃありませんか、献血ルームっていうのは。ここなら安心して、血を抜いてもらえそうです。たくさん抜いてもらっていいんですよ。おそらくは、あなたがたが望むよりも、ずっと多くの血を。ええ、それこそ限界までね。400ml? そんなケチくさいことは申し上げません。私はね、1滴残らず血を抜いちゃってもらいたいんです。いやいや、冗談なんかじゃないんです。私は、私の体に流れている血をすべて献血しに来たんです。すべて、ですよ。まあ、お待ちなさい。そんなことをしたら死んでしまう、などと言ってはいけませんよ。あなた、医療の現場にいる人なら分かるでしょう、死ぬなんてのはどんな人間にとっても特別なことなんかじゃないって。ましてや、私は平凡な人間だ。しかし平凡であっても、それは必ずしも役立たずということではないんです。私はですね、生きたいと思っている人のほうが、死にたいと思っている自分よりも、私の血が有用だと気づいたわけです。これはつまり、正しい富の再配分ということですよ。それに、私自身にとっても、その他の身の毛もよだつような死に方をしなくてもいい、という点で便益があるのです。血を抜くより穏やかに脳のスイッチを切る方法は、ちょっと見当たりませんのでね。誰だって、他人に迷惑をかけるような死に方はしたくないじゃありませんか。私はこう見えても潔癖症なんで。電車に飛び込んだり、ビルから飛び降りたり、首を括ったりはしたくないんですよ。後始末が大変なのは目に見えているでしょうが。そうしたくないからこれまで生きてきた、と言っていいほどですよ。あるときにですね、私は1個の真理に気づいたのです。死ぬのに最もふさわしい場所は、病院ではないかと。あなたがたは職業的に洗練されている。なにより、情緒を脳から切り離す術をご存知だ。普通の人なら見た目だけで嫌悪する臓物のようなものであっても、それが全きものならば、あなたがたには宝物のように見えるでしょう。よろしい、血を抜き切った後の私の体に、再利用できるパーツがあれば、一つ残らず取り除いてください。ああ、私の血が、私の器官が、丁寧に分解されて、世界でそれを待ち望んでいる人のもとへ飛んでいくとは……なんて素晴らしいことだろう! これは、私がこれまで生きてきて成し遂げた何よりも大きな達成になるでしょう! それではお願いします。1滴残らずね。せっかくですから、なにとぞご無駄のないように。どうもありがとう」
私たちは彼から400mlの採血をした。彼は採血をされる間に眠ってしまった。起こされると、先の饒舌が信じられなくなるほど無口になって押し黙り、規定の休息時間の過ぎるのを待たずに献血ルームを去った。男性の体重は50キロだったから血液量は4000ml程度。3600mlの血液を肉体に携えて歩くその足取りが、私にはとても重そうに見えた。
それから私は帰宅して、湯船に浸かっていた。手首をカミソリで縦に切ると、血が湯の中に美しく流出した。私はどうやら、私の血を誰かに授けたいとはこれっぽっちも思っていないらしい。私は目を閉じた。失血死が本当に「穏やかに脳のスイッチを切る方法」であるのかは、分からない。それはまもなく分かるだろう。この体験を証言する機会が永遠に訪れないことが、私には少し心残りだった。