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アスミー&イマゴト活動報告2024.01.03-06令和6年能登半島地震の被災地に入って感じたこと

伝えたいことが多いのですこし淡々と記します。
1月1日16時の最大深度7の地震が起きてからTVで高台避難を訴えるTVを見ながらSNSで情報収集し、2時間後にはムサシの岡本社長と現地入りのすり合わせをしました。「とりあえず行くか」ってコメントが19時でした。
3日早朝に岡本社長はじめ第一陣が兵庫を立って現地入り(拠点は七尾市に設けた)。
私はその情報を受けて3日の夜に支援物資を積んでまずは富山を目指しました。

ある程度は地元で買って、近づきながら最新情報に合わせて買い足す方針で

富山には一般社団法人アスミーのメンバーが居たので、そのメンバーの被災状況を聞いたり、サポートできることがあればと会いに行ったのですが、とっても元気(被災はしているけど)で、逆に奥能登に入るための支援物資を頂きました。さすがアスミーメンバー。

その後第一陣を追って奥能登に入ったんだけど、結局帰路に着く寸前まで仲間には会えなかったので単独行動でした。
これまでも何度も被災地に入ってますが、そのときは必ず以下のことに気を付けています。

【被災地に入るときのポイント(と秋田が思っている事)】
①被災地のお世話にならない。自分のことはすべて自分でする。
②食事・排泄・移動・睡眠などすべて自分で持って行ったもので賄う。
③その上で余力で被災地のサポートをする(無理しない)。
④常にリスクや最悪の状況を考えて、その対策も考えながら動く。
⑤常に自分の動きを知らせる。

今回は⑤がとっても難しかった。電波が来てないのと、道路がガタガタで運転に集中しまくっているためスマホが確認できないことが要因。やはり大事なのは2人以上で動くこと。できなかった今回はすごく怖かった。
山道で土砂災害にあったら誰も気づいてくれないだろうし助からないので。
実はズボンのポケットに名刺を名刺入れごと入れていた。ドッグタグ(認識票)代わりに。

能登町と輪島市を繋ぐ山道。車のが通れるように開いてくれているがいつ崩れるか分からない

現地入りした経験を語ってもその情報は1日経つと古くなって役に立たなくなってしまう。上記の道も7日朝の大きな余震や雨雪でどうなったのか分からない。

ということで現地のレポートよりもそこから感じたことや思いついたことを記しておこうと思います。

①報道・SNSと現実の違い
 現地での行動を考えるのにSNSを活用しているが、やはり情報が活きている時間は短い。刻々と状況が変わるので現地との齟齬が大きい。特に報道とはタイムロスが大きく、それは仕方ないので役割分担だと思った。一番生きた情報は現地の人の生の声。ただし情弱になっているのでほんとに生活圏域限定の情報だと思う。

②役所のパニック
 まず大事なことはこのタイミングで役所に相談しない事。この規模だと役所の人たちも被災している。そんな中自分の家族や家を後回しにして役所で対応している。それに対して現地でもSNSでも「役所は遅い」とか「役所がもっと早く決めないと」とか「無能」とか言っているやつらは許せない。特に外から言っていたり個人を攻撃している馬鹿。
 ただし役所がボトルネックになっていることは多々ある。これは阪神淡路大震災や東日本大震災でも同じことが起こっていて、それを改善してはいるんだけど全然十分じゃない。つまり現場対応の問題ではなく準備の問題。

今回の記事ではここをちょっと深掘りしたい。
役所としては大規模災害が起こることを想定して、緊急物資の確保について平時からいろいろと動いている。
例えば「災害時における物資供給に関する協定書」などを民間企業と締結しているわけだが、協定書の中身を見ると

(引渡し等) 物資の引渡場所は、『役所』が指定するものとし、その指定地までの運搬は、原則として『民間』が行うものとする。ただし、『民間』が自ら運搬することができない場合は、『役所』が定める輸送手段により運搬するものとする。 2 『役所』は、『民間』が前項の規定により物資を運搬する車両を優先車両として通行できるよう配慮するものとする。

このくらいしか書いてない。実際に被災した時にどこどこに避難所があって、どのくらいの物資が必要か。拠点ではなく避難所まで運ぶことが大事なのだがラストワンマイルの配送が想定されていない。

大規模災害時に必要なのは個別判断して動ける事。役所の指示待ちにならないことなので、協定書には「災害があって役所が機能不全になったら民間判断で避難所まで必要数を自ら判断し届けること」って記載があった方が良いなと思います。それを記載した上で、平時に訓練しておきたいですね。

最近では大手の配送業者と組んで、受入れから避難所への配送まで含め協定を結ぶ自治体もある。これは良いことだとも思う。
ただ、そこからもう一歩考えて、大規模災害の時にあちこちと同様の連携協定を締結している民間企業がその特定の役所のためだけに動けるのかといったら疑問がある。ドライバーやトラックだって限りがある。

私の個人的な考えとしては、役所と住民ががっつり同じ方向を向いて、自分たちの共助で配送の仕組みを考えておく必要があると思う。
地域で仕事をやっている中小企業や一次産業の方々も含めその地域に普段から滞在している人全員に公務として動いてもらう仕組みを作りたい。
小さな自治体だとそれが有効に働くと思っています。

住民総(期間限定、業務限定)公務員化計画

さて、まとめたい・・・
文章がバラバラで申し訳ない・・・。

ボランティアは来ないでください!と言われているなかで無理やり入っていることは100も承知なので、批判はどうぞですが、現地に一切迷惑かけず(渋滞は一部寄与してます、すみません)、そして得たほんとに活きた情報を、活きているうちに色んな支援団体や行政に伝えることはとても大事だと思っています。
本日(1月8日)、Zoomも使って報告会も開きます。

僕らの団体は第1陣から合計15人ほどが被災地で動き回りました。奥能登の一番来たの珠洲市にたどり着き、配送ができない役所の保管も兼ねて、さらに能登半島の先端まで物資を運んだ仲間も居ます。
昨日は最後の部隊が、電気が通っていない珠洲市へ、ムサシの製品であるセンサーライトを届けに行ってました。

命を繋ぐフェーズで私たち(民間の野良集団)ができることは少なくなってきたし、雪などで現地に迷惑かけるリスクが増えたので一旦被災地から出ました。
次はボランティアセンターが開設されたら、被災者の生活再建のためにまたみんなで入りたいと思います。
大事なことは何度も入ること!報道の量と一緒にボランティアもどんどん減っていきます。そこであえて何度も入る術を考えて行きたいですね。

最後に、2つ(まだ長い・・・)

今回被災地に入り緊急物資を届けるために七尾→穴水→輪島→能登とのたうち回り、最後に能登町の山間部の孤立(してた)集落にたどり着きました。
現地の世話にはならないことが信条だったのですが、避難所のリーダーに強く勧められて一晩避難所でご一緒しました。そこでの情報共有で、こちらから今後の生活再建のためのお話もたくさんできましたが、暖を取らせてもらってガソリンが節約できその後の活動の量が増やせました。ありがとうございます。生活再建の心配、ボランティアの受け入れ方、罹災証明の取り方、片付けの手順や解体の方法、さらには移転の話や、集落の存続の話まで、今後の復旧復興のためになる話し合いができました。ありがとうございました。
いま、奥能登では移住を促すマッチング計画が有志で進んでいる話も聞いています。今の不安を払拭するためにはとても良い取り組みだと思います。
ただ、不安な点もあります。
現地で一人暮らしをしているおばあちゃんたちの話を聞いていると、安全な家よりも安心なコミュニティが大事だということも感じます。生活再建はハードの話になりがちですが、ソフトであるコミュニティを含めた繋がりの再建を考えてもらいたいです。
若い人や既に移住を繰り返している人には分からない感覚かもですが、例えば「昭和生まれ、地元で育ち地元で結婚、農業で生計を立て、ずっと同じ家で暮らしている。子どもを生んで育て都会へ送り出し、孫が年末年始に来てくれるのが1年で最も楽しみ。話し相手は集落の同世代のみのおばあちゃん」みたいなペルソナを設定して考えてみて欲しいな。
と、考えると移住マッチングは若者向け。そうなると残されるのは高齢者のみ。さてどんなことが想像できるでしょうか・・・短期と長期を一緒に考える難しさがあります。

そしてホントに最後

一般社団法人アスミーでもさんざん言っているのですが、現地で最前線に立って頑張っている自治体職員もきっとほとんどの人が被災しています。それでも家族や家を後回しにして、自治体職員としてやらなければならない!と踏ん張ってやっています。
そりゃいろいろ被災地で不満もあるし、歯がゆいこともあるでしょう。でも同じ被災者同士、敵対するのは災害だけにして、お互いリスペクトしあい、一緒に協力して立ち向かってほしいです。

この震災を乗り越えた後にみんなで笑って肩たたきあって飲みたいですよね。

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