デザイナーになる前となってからの約2年を振り返る
はじめまして。レシピ動画サービスのクラシルを運営するdelyでデザイナーをしているミカサ(@acke_red)です。
デザイナーになってから、気づけばもう2年が経とうとしている。
僕は2016年8月にdelyにデザイナーとして入社した。あと数ヶ月で2年の節目になるので振り返りたいと思う。
(今後プロダクトのデザイン関することを書こうと思っている。まずは自分が何者かを知ってもらうことからだろうから、このはじめての投稿が自己紹介の代わりにでもなると嬉しい。)
【目次】
・プロフィール
・デザイナーになる前
・delyというスタートアップへ
・クラシル1人目のデザイナーとして
・デザイナーとしてのこれから
プロフィール
1993年生まれ、広島出身。同志社大学商学部卒。2016年8月にdely株式会社にデザイナーとして入社。
現在、クラシルのプロダクト開発チームで、ユーザーリサーチ、iOS/Androidアプリの情報設計、UIデザインなどを主に担当している。
デザイナーになる前
まずは、デザイナーになるまでの経緯について。
原点
学生時代まで遡ると、大学は京都にある同志社大学の商学部に通っていた。文字通り商い(ビジネス)を学ぶ学部だ。
当時の僕は、講義に出るよりもスマブラが楽しい典型的な大学生だったので、「いかに楽に単位を取れるか?」という課題を抱えていた。この課題は親しい友人や学部の学生の間でも少なくなかった。
そこで、簡単にいうと「楽に単位が取れる=F率が低い科目を曜日ごとに検索できるサイト」を作ろうと思いついた。何より自分が欲しいし他の学生も便利に使えるのでは?と意気込んだ。
思いついてからRailsの本を片手に夢中で作って履修期間にリリースし、すると同じ学部生の間で話題になった。規模で言えばほんの数百人にしか使われないサービスだったが、今振り返ると根本の課題を解決するMVPを作ってユーザーから良い反応が返ってくるというスタートアップの擬似体験だったように思う。
ほんとに些細で小さな体験だが、自分の手でプロダクトを作る面白さを知ることができ、それが今に繋がっていると思っている。
挫折
それから、スタートアップ系のイベントで知り合った人が立ち上げたスタートアップに休学してジョインした。
あまり詳細には書かないが、結果として2つのプロダクトを作ったがどちらも失敗に終わった。プロダクトが一つも伸びない辛さを味わい、朝起きるのでさえつらくなり、やがて体調も悪化した。今思えばあれは何かメンタル面の病気だったんじゃないかと思う。
今振り返って何を学んだかといえば、例えばいくら分かりやすいUIや美しいグラフィックを作ったところで、そのプロダクトの解こうとする課題やターゲットとなる市場が間違っていればビジネスとして利益を上げることができず、市場から受け入れられるプロダクトを作ることは難しいということを知ることができた。
失敗は失敗として受け入れて、復学してからは就活というタイミングだった。インターネット業界ではディレクター/プロデューサーと呼ばれるようなキャリアを考えたのだが、実際に手を動かせた方がプロダクトを作っていく時に広い範囲で関わることができるのを感じていたので、そうなると一般的に新卒で入るにはエンジニア職かデザイナー職かということになる。だが、コードを書けるか、デザインができるか、といったどちらかの専門スキルでのたいした実績や高い専門性を僕は持っていなかった。
だからデザインに賭けた
そこから、「誰に対して、どんなものを作って、どうやって儲けるか」といういわゆるビジネス寄りの興味があったが、それをわかりやすく目に見える形に落とし込むデザインの仕事に魅力を感じた。
それから、デザイナーになるために独学でUIデザインについて勉強し始めた。そこでMaterial Designのガイドラインを隅から隅まで翻訳して読み込むことから始めた。次に、SketchでアプリのUIをトレースしたり、コンセプトUIを自分なりに作ってとりあえず「UI作れます」というレベルまでは何とか達することができた。
(余談だが、僕はMaterial Designのおかげでデザイナーになれたと思っている。Googleという世界トップレベルのデザイナーたちが、使いやすいUIを作るにはどうしたら良いかを体系的にまとめた世界最強のUIデザインの教科書を0円で読める時代に感謝しなければならない。おかげで今でもMaterial Designが大好きだ。)
delyというスタートアップへ
2016年の8月、大学4年次の春学期が終わってからすぐに東京に引っ越してdelyでインターンとして働き始めた。
2週間くらい働き始めた頃に社長に呼ばれて、
社長「もう社員でいいかな?」
僕「そのつもりで来たのでよろしくお願いします」
みたいな数秒の会話で正式に社員として迎え入れてもらった。
こうしてデザイナー1年目がスタートした。
入社当時、開発チームはCTOとサーバーサイトエンジニアと僕といった感じだった。クラシルのアプリはリリースしたばかりでこれから作り込んでいくという状況だった。それから約2年、アプリは1000万ダウンロードを突破し、社員も増え、プロダクトと会社はどんどん大きくなっていった。
この約2年で経験してきたことは本当に貴重な経験だったと思っている。しかし、これには一長一短があるはずで、先輩デザイナーから学べる環境がある会社に入社していればまた違う経験があっただろうし、デザイナーというキャリアを考えても色んな生き方があり正解なんてないのだろうなと思う。
今振り返るとスタートアップに1人目のデザイナーとして入るという少しだけの勇気を出して意思決定したことは間違っていなかったし、自分にとっては間違いなく正解だったと今は自信を持って言える。
クラシル1人目のデザイナーとして
クラシルはPMF後に急激な成長期に入っていくタイミングだった。興味と意欲があれば何でもやれたというか、やらざるを得ない環境だった。ただ失敗を繰り返し、今振り返れば「何であんなやり方でやっていたんだ」と思うことばかりである。
初期のiOS/Androidアプリの設計を担当して、今のクラシルのアプリのUIは僕がデザインしたものが原型になっている。日常的に使うアプリだからこそ、何も感じさせないシンプルなUIになるまで余計なものを削ぎ落とすことを特に意識した。
アプリの情報設計やUIデザインだけでなく、データを分析し、施策を考え、機能仕様を設計し、グロースの領域をメインで担当したこともあった。デザインの領域以外に足を踏み入れてスキルの幅を広げることも意識していた。スタートアップ1人目のデザイナーにとっての美味しいポイントは、プロダクト開発の全てのプロセスを自分事として仕事できることにあると思う。
おかげで、こういった経験がきっかけとなりプロダクト開発について広く考え学ぶことが多かった。特に数字とユーザーさんと向き合い、情熱をもってこそ真にプロダクトを良くすることができるという本質を理解することができた。
デザイナーとしてのこれから
いざ振り返りながら考えてみると、現時点で自分はどういったデザイナーになりたいのかが何となく分かってきた。
自分にとって譲れないことは、世間に溢れている課題を解決するプロダクトでも、自分の思想や実現したい世界を作るプロダクトでも、とにかく良いプロダクトを作ることにこだり続けるということだ。
生活の中にある課題を解決する、あるいはより生活を豊かにするプロダクトを磨く、あるいは生み出すデザイナーでありたい。
最初の方に書いたように学生時代に失敗を味わい、やはり自分の中にいつか自らの手で素晴らしいプロダクトを作りたいという思いがある。僕個人の価値観として、市場に受け入れられるプロダクトを0から生み出すことが最も価値があることだと思っており、自分もどこかのタイミングでデザイナーとして0を1にする経験を積みたいと思っている。
今はただ粛々とデザイナーとしてのスキルを磨きつつ、自分が今向き合っているプロダクトをより良いものにしたい。