それらは太古に忘れてしまった本来の思考体系であり、本来の知覚の仕方だから
今自分がどのような状態なのか!その真実を自覚/認識するとき
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践をしていくためには、まず最初に、その土台となる形而上学をしっかりと理解していくことが必須だといえます。
というのも、コースの実践では、聖霊と共に幻想(自我)を直視することをしていくわけです。
そしてそのためには、
聖霊はどのような考え方(思考体系)で、
どのような視点から、
どのように見て(知覚して)いるのか?
について、私たちはしっかり形而上学的に理解しておく必要があるということです。
逆に、コースの形而上学を理解もしないで、どうやってその実践ができるというのでしょう。
ときに、コース形而上学をまともに学ぶこともせずに、
「この世界は幻想だ」と信じ込んでいけば、
「この世界は夢」だと言い聞かせていけば、
いまここの平安に在り続ける、ということをしていけば、
聖霊に助けを求めていきさえすれば、
聖霊に祈ってさえいれば、、、
そういうことをしていけばいつかこの幻想から目覚められるはず、
というふうに自分の都合の良いようにコースを解釈して、そのような学び方と実践をしているコース学習者がおられたりします。
(とくに、コースの学びが浅い段階の学習者に、そのケースが多くみられます。)
いとも容易くコースの教えを歪曲して、それで学んでいるつもり、実践しているつもりになっていたりするわけです。
そうならないように私たちは充分に警戒しなければならないといえます。
そのためのコース形而上学の学びであるということを忘れてはなりません。
コースの形而上学を理解することがないならば、この世界の夢から目覚めていくこともなければ、その学びの階梯さえも見出すことはないでしょう。
それがいけないということではありませんが、実際に、何年、何十年という年月をかけてコースを学んでいるにもかかわらず、学びの階梯の一番下に留まったまま、曖昧で誤った学び方と実践をしているコース学習者はけっして少なくはありません。
コースは、それが正しく学ばれ正しく実践されていくならば、つまり、しっかりとしたコース形而上学の理解に基づいて実践していくならば、必ず、「正しい心の思考体系」や「真の知覚」を思い出していくことになるのだということです。
「正しい心の思考体系」や「真の知覚」のことを、コースではそれぞれ「聖霊の思考体系」そして「聖霊のヴィジョン」と呼んでいます。
そう、それらは私たちが最終的には完全に修得していかなければならないものだということを覚えておきましょう。
それというのも、それらは私たちが太古に忘れてしまった本来の思考体系であり、本来の知覚の仕方だからです。
それが意味するのは、私たちは今や、まったくでたらめで不自然な「思考体系」と「知覚」の状態になってしまっているということです。
だからこそ、私たちは学ばなければならないのであり、そして訓練していかなければならないということです。
その学びは、今すでに自我(二元性)の誤った思考体系と同一化してしまっていることを自覚/認識していくことからはじまるといえます。
もっといえば、そこからしかこのコースの学びははじまらないといえます。
自我の思考体系(二元性の思考体系)とはどういうものか?
その思考体系がいかに狂気の沙汰か!
その思考体系と自分はいかに同一化してしまっているか!
ということを理解するとき、あなたの本格的な学びははじまりるのです。
というのも、あなたが今自分がどのような状態なのか!その真実を自覚/認識するならば、あなたはもはやそれをOKとはしなくなるからです。
そのために、まずは、コースの形而上学をしっかり理解することが絶対に不可欠なのだということです。
それは誰もが必ず最終的に思い出すことになっているもの
コースの学びと実践において、私たちに求められていること、そして私たちがしていかなければならないことを要約するならば、以下の通りになります。
まずは、自分が考えているものが自我(二元性/分離)の思考体系からのものであるということを認識すること。
そして、その思考体系がいかに狂気であるか!を認識すること。
それと並行して、別のもう一つの思考体系(聖霊の思考体系)について学んでいくこと。
そのためにはコース形而上学の学びが必須であることを理解すること。
コース形而上学を理解するだけでなく、実践を通してそれを根付かせていくこと。
そして、それを完全に修得していくこと。
以上のそれらが、コースの学びのプロセスにおいて私たちがしていかなければならないことであるといえましょう。
私たちはコースの学びを通して一元的思考体系(正しい心/聖霊の思考体系)と一元的知覚(真の知覚/全一なる知覚)を修得していくことを目指しているのだということです。
なぜ、一元的思考体系/一元的知覚を修得していかなければならないのか?というならば、なぜなら、それはそもそも私たちが太古に忘れてしまったものであるからです。
それはけっして真新しいものなのではなく、もっといえば、それは誰もが必ず最終的に思い出すことになっているものなのだということです。
だからこそ、一元的思考体系(正しい心の思考体系)ならびに一元的知覚(真の知覚)について学ぶ必要があるのであり、さらにはどのようにしたらそれらがもたらされるのか?についても学ぶ必要があるわけです。
それが当たり前になるまで、自分のものになるまで、それは学ばれ、修得されなければならないということです。
「当たり前になるまで」とは、その努力が必要なくなるで、です。
ようするに、それが意味するのは、私たちが今当たり前としている二元性の思考体系のほうがまったくの狂気(不自然)なのであり、それゆえ、私たちはまともな正気(自然)に戻ることが求められているということです。
(コースの学びを通して本気で目覚めていくつもりであるのなら、)
それは私たちにとって必修科目なのだということです。
なぜなら、私たちが探している本当の幸せはそれ以外にはないからです。
私たちコース学習者が歩んでいる道とはそういう道であるということを肝に銘じておきましょう。