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夢を見ているのは誰なのか?

知覚しているその主体とは

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えているその中心となる概念が、

世界は無い

というものです。

世界も無ければ、他者もいない、ということです。

それが意味するのは、この世界のすべて、この人生のすべてが「夢を見ている者」によってでっち上げられた夢なのであり、この世界の中の自分も夢の主人公(登場人物)でしかないということです。

そこで私たちにとって重要となるのが、

誰が夢を見ているのか?
夢を見ているのは誰なのか?

ということです。

私たちが知らなければならないのは、その夢を見ている自分(「夢を見ている者」)とは個人の自分なのではないということです。

個人の自分は夢に属するものであり、夢の主人公にしかすぎません。

その自分は偽りの自己であり、実在していません。

その個人(個別)の自分とは別に、この壮大なる夢を作り出して、そして、その夢を見ている者がいるのだということです。

つまり、夢の主人公の自分とは別に、じつはもう一つの「主体」が居るのだということです。

その別の「主体」の自分こそが、私たちが思い出すべき真のアイデンティティー(真の自己)なわけです。

真のアイデンティティー(真の自己)を思い出したところから見るならば、この世界の中の人たちが、自分が作り出した夢の登場人物であるとはっきり認識できます。

さらには、外側にあるこの世界、そしてその中に存在している登場人物たちも含めて、それらがもはや自分になんの影響も及ぼすことなどできないことが明らかになります。

そこから見ている知覚こそが、聖霊/イエスが見ている知覚であり、「ヴィジョン」(心眼/真の知覚)と呼ばれるものです。

そこにこそ、真の救いがあります。

そして、それを「赦し」と呼んでいます。

コース学習者の私たちは、その「赦し」を通してヴィジョン(真の知覚)を完全に修得するために、コースを学んでいると言うことができます。


救いの秘密は、「あなたは自分で自分にこれを行っている」ということだけである。攻撃の形の如何にかかわらず、依然としてこれが真実である。敵や攻撃の役割を誰が担っていようと、依然としてこれが真理である。何があなたが感じている苦痛や苦しみの原因に見えようと、依然としてこれが真実である。(T-27.Ⅷ.10:1-4)

奇跡講座/中央アート出版社


知覚されているものすべてが虚偽であると知覚されているとき、知覚しているその「主体」とは、いったいナニモノなのか?

それが、「夢を見ている者」であり、つまりそれこそが、コースの学習者である私たちが思い出すべき真のアイデンティティーであるということです。

そう、その自分(真のアイデンティティー/真の自己)を完全に思い出していくことがコースの目的なのだということを覚えておきましょう。


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