今までの自分の見方、考え方というものをまるごと明け渡していく道
There must be another way. (別の方法があるにちがいない)
少しばかり皮肉っぽい言い方になりますが、
「自分は幸せです、自分は平安です」
と思っているとしたならば、コース(奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいくことは難しいといえるでしょう。
もし本当に幸せであるならば、そもそもがコース(奇跡のコース/奇跡講座)など必要ないというものです。
そうではないからこそ「真の幸せ」「真の平安」を探しているわけで、このコースはその「真の幸せ」「真の平安」を体現していくことを目的としたスピリチュアリティ(霊性の道)であるわけです。
ですから、コースを本当に学んでいきたいのであるならば、まずは、「自分は幸せじゃない、平安じゃない」ということに正直になる、もしくは、自覚/認識することが大事だといえましょう。
そうでないならば、たとえコースを学んでいったとしても、その歩みの途上においてたやすく挫けてしまうことになるだけです。
何が言いたいのかと申しますならば、コースは中途半端ではけっして学べるようなスピリチュアリティではないということです。
というのも、コース学習者は、真摯に自分の内面と本気で取り組んでいくことがその実践で求められるからです。
そう、私たちは内側の闇の部分を明らかにしていくことが求められているということです。
そういう意味では、「自分は幸せです、自分は平安です」と思っていたり、あるいは、それなりに人生が上手くいっていると思っている人にとって、コースは不向きであると言うことができましょう。
この世のものを超えて、もっといえば、死をも超えていこうとする霊性の道なわけですから、その道はけっして生半可ではないことは当然のことです。
ワプニック博士はそのことについて次のような言い方をしています。
「人生が上手くいっている人は、コースを学ばないほうがいいでしょう。なぜなら、そのような方々にとっては、まるで自分の人生が取り上げられるような感覚を覚えるからです」と。
でも、言い換えるならば、「幸せじゃない、平安じゃない」「生きるのがつらい、苦しい」と感じている者たちにとっては、コースは有益な霊性の道であると言うことができます。
この人生に、この世界に、息苦しさ、生きづらさ、苦しみといったものを感じている者たちにとって、
なぜ自分は幸せになれないのか?
なぜこの人生はうまくいかないのか?
なぜ生きるのがこんなにつらいのか?
コースはそのことについて明確な答えを与えてくれている霊性の道だといえるからです。
「それなりに幸せです、それなりに平安です」と思っているならば、本気でコースを学んでいこう、真摯に実践に取り組んでいこうという気にはなかなかならないものです。
そういう状態でいくらコースを学んでいったとしても、コースの教えを日々の中で適用して実践していこうはけっしてならないでしょう。
なぜなら、その実践は、「There must be another way.(別の方法があるにちがいない)」という概念を受け入れることをしていくわけで、それなりにうまくやっていけるならば、その概念を受け入れる必要性がないからです。
なにせ、自分ではどうにもならないことを悟らないかぎり、あるいは、もうどうにもならないと行き詰らないかぎり、なかなか「別の見方で見たい」とはならないということです。
コースはもともとが(ヘレンとビルが)そのようなコンセプト(概念)受け入れたことによってもたらされた霊性の道であるということを知っておくとよいでしょう。
つまり、このコースはこれまでとはまったくちがう見方、考え方を受け入れていく道なのだということです。
今までの自分の見方、考え方というものをまるごと明け渡すことをしていくことが求められているのだということです。
コースはそのような霊性の道だということを十分に分かったうえで学ばれると良いでしょう。
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