自分はコースを理解しているつもりでいるとしたなら、要注意!
自分は分かっている、に要注意
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)学習の歩みは本当に一歩一歩でしか先に進んではいかないと言うことができます。
その歩みにはプロセスがあるということです。
もっといえば、このコースの学びはプロセスを要するということです。
プロセスなしに、それが学ばれていくことはないからです。
もし、自分はコースを理解しているつもりでいるとしたなら、要注意です。
というのも、コースの学びのプロセスは、コースを理解したつもりでいても、コースの学びがさらに深まっていくとき、その理解はまた崩れていく、というまさにその繰り返しだからです。
いわゆる、そのたびに、「自分は分かっていなかった」と気づいていくわけです。
コースの学びは、そのようなプロセスを繰り返しながら、その学びは深化していくと言うことができます。
言い換えるならば、「自分は分かっていなかった」と気づかされるときこそが、コースの学びが深まっているときだと言うことができます。
コースの学びはそのようなものであり、私たちはそのようなプロセスをたどりながら、学びの階梯(はしご)を上っていくのだということを知っておくと良いでしょう。
曖昧な学び方をしない
コースの学びが進んでいくにつれて、このコースは自分が想像していたものを遥かに超えた霊性の道であるということが分かってくることになります。
とはいえ、コースの学びはじめは、まず誰もが自分の学んできたスピリチュアリティの枠にはめ込んで解釈していくことになるといえましょう。
いわゆる、誰もが自分の都合いいようにコースを曲解して、その教えを矮小化してしまうということです。
そもそもコース自体がとても難解であるがゆえに、なにせ学びはじめというものは、それは仕方のないことだといえましょう。
かつて私もそうだったように、です。
私自身のことでいうと、自らが経験した覚醒体験や至高体験を都合よくコースの教えにはめ込んで、結果的にコースの教えを矮小化して、自分はコースを理解しているつもりになっていた時期があったことは否めません。
それによって、私は数年間、まわり道をした経歴があります。
(それも学びのプロセスだったのかもしれません。笑)
それがいけないということではありませんが、できるなら、そのようなまわり道はしないほうがいいと思うわけです。
もっといえば、まわり道どころか、コースの教えを曲解したままコースを何十年と学んで、コースを分かったつもりになっているケースはざらにあるわけです。
ですから、コースの形而上学をしっかり学んでいくこと、そして理解していくことはとても重要だといえます。
しっかりとした形而上学的な理解がないならば、コースの学びの階梯を上っていくことはけっしてあり得ないと知っておきましょう。
逆に、コース形而上学をしっかりと学んでいくならば、そこには実相世界へ至る階梯がはっきりと見えてくることになります。
つまりは、曖昧な学び方をしないということです。
そう、コースの形而上学を学んでしっかり理解していくならば、たとえコースを歪曲して理解していたとしても、曲解していたものは必ず疑われていくことになり、そして、正しい学びと実践ができるようになります。
それだけではなく、自分がこれまで学んできたことはすべてが自我の思考体系(二元性の思考体系)であることがはっきりと認識できるようになっていきます。
そうやって私たちは学びの階梯を上っていくのだということを覚えておきましょう。
コースの学びが深化していくとどのような実践になっていくのか
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