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本当の自分(真の自己)を忘れたままでいるかぎり、そこには平安も幸せもありません
Self と self
コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)では、私たちが「自分」だと信じている個としての自分は、「self(小文字のセルフ)」というふうに呼んでいます。
そして、コースの観点から見るならば、この「self」の自分こそがでっち上げた偽のアイデンティティーであり、本当は実在してはいないわけです。
つまりは、私たちはニセモノの自分を自分だと認識している(信じている)ということです。
その自分(self)が非実在なのだということです。
それが意味するのは、私たちは何も考えていない、何も見ていない、何も聞いていない、何もしていないということです。
私たちは何をしているのか?というなら、夢を見ているだけ、です。
夢の主人公である自分(self)はニセモノなわけで、ならば、本当の自分は?
ということでいえば、
私たちは本当の自分(真の自己)というものをまったく忘れてしまっていると言うことができます。
ここで覚えておかなければならないのは、本当の自分(真の自己)を忘れたまま偽の自分を「自分」だと思い込んでいるかぎり、そこには平安も幸せもないということです。
コースでは本当の自分(真の自己)のことを(大文字の)「Self」と呼んでいて、その「Self」を思い出すことがコースの目的なのだということを覚えておきましょう。
上記でも述べたように、コースは、本当の自分(Self/真の自己)を思い出していくことが目的なのだということです。
そして、そのための実践的な手段を「赦し」と呼んでいるということです。
ただし、「赦し」を実践していくためには、それを実践していくための基盤となる理論(哲学/形而上学)が必要不可欠となるということです。
それが「コース形而上学」と呼んでいるものです。
赦しとは何なのか?
どのように実践していけばいいのか?
どのような考え方、見方を修得していかなければならないのか?
ということについて、私たちはコースを通して学んでいかなければならないということです。
さらには、それを根付かせていくことが求められているということも覚えておきましょう。
コース形而上学を根付かせていくためには、日々実践で適用していくしかありません。
コース形而上学が根付いていくとはどういうことか?というと、いわゆる知覚が訂正されて、知覚が変容していくということです。
「自分」だと思っている自分自身も実在していなければ、そこから見ているすべてが虚偽、無、非実在であると気づくようになっていくということです。
コースでは、そのように訂正された知覚のことを「真の知覚」「無垢なる知覚」「完全なる知覚」と呼んでいます。
自分は誰で?どこにいて?何をしているのか?
コースの学びと実践を通して、その真実が次第に思い出されていくことになります。
コースは、そのような霊性の道だといえます。
つまり、このコースはこれまで自分だと信じていた「偽物の自分」から「本当の自分」へと完全に移行(シフト)していくための道であり、いうなれば、self から Self へアイデンティティーをシフトしていくための霊性の道であるということです。
それは、自己認識(アイデンティティー)を「個の自分」から「全一なる(全体の)自分」へとシフトしていくことによって可能となるといえます。
具体的にいうと、この時空の夢の外にいる自分(真のアイデンティティー)が思い出されていくだけでなく、本来はそっちが真の自己であることが自覚/認識されていくということです。
コース学習者である私たちはそのような階梯を上っていって(プロセスを経て)「目覚め、再覚醒、復活」へ至ることを試みているということです。
とはいえ、その道は、私たちにとってそんな容易い道ではないということも知っておかなければなりません。
「この世界も、そしてこの世界を体験していると思っている自分も、そのすべてが嘘であり、無であり、非実在なのだ」ということを認めて、受け入れていく訓練をしていくわけですから、当然、コースを学ぶことに対して、コースを実践していくことに対して抵抗が起きてこないわけがありません。
誰もの中にも、その抵抗は必ずあります。
理解しておかなければならないのは、それは目覚めに対する防衛、真理に対する防衛、神の愛に対する防衛でしかないということです。
コースでは、そういうことについても学んでいきます。
つまりは、自我について、自我の思考体系について学んでいくことで、私たちはその自我(の思考体系)に気づいていくことができるようになり、その自我から解放されて自由になっていくことができるのです。
自我についてよく知ること、理解すること、それなしに自我から自由になることはけっしてないといえるでしょう。
そのために私たちはコースを学んでいると言っても過言ではありません。
というのも、私たちがしてくのは、自我を見つけ出し、自我を取り消して(訂正して)いくことが目的なのですから。
それが「赦し」というものです。
私たちがいつか自我フリー(自我ゼロ)になるまで、つまり、「赦し」が完全に修得されるまでそれをしていくのだということを覚えておきましょう。