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ノンデュアリティといっても、「非二元」と「純粋非二元」に分類される


ノンデュアリストも二種類に分かれる

非二元とか、悟りとか、目覚めとか、真理とか、そういったものについて探究していくスピリチュアリティ(霊性の道)を、ノンデュアリティ(非二元)、もしくは、一元論のスピリチュアリティと呼んでいます。

そして、そういった探究者たちのことを、あるいは、ノンデュアリティについて語るスピリチュアリストのことを、「ノンデュアリスト」と呼んだりします。

そういう意味でいえば、コース学習者たちも「ノンデュアリスト」と呼ぶことができましょう。

ただし、その「ノンデュアリスト」にも、二種類あるといえます。

その一つが、この世界は幻想なのだと知りつつ、「この世界は幻想なのだから、せっかくならこの世界を、人生を楽みましょう」というような生き方、在り方を推奨しているノンデュアリストです。

そしてもう一つが、この世界は幻想だとしながら、この世界を使って夢から目覚めていくことを目的に求道していくノンデュアリストです。

そして、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、後者のノンデュアリストたちに向けたスピリチュアリティであるといえましょう。

※ちなみに、前者のようなスピリチュアリズムを「似非ノンデュアリティ」という意味の「ネオアドヴァイタ」というふうに呼んでいるということも知っておくと良いでしょう。)


一瞥体験、見性体験した人たち

巷には一瞥体験、見性体験した人たちが多数おられます。

そんな彼らについても、二つの種類に分類できると言うことができます。

一方は、自分はもう一瞥(体験)したので、自分はもう悟った(目覚めた)というところから他のみんなに啓蒙することに勤しむノンデュアリティのスピーカーさんたちです。

そしてもう一方は、実相(一瞥したもの)こそが実在(リアル)であることに気づいて、この世界の幻想を超越していこうとさらなる求道へと進んでいくノンデュアリストです。

その両者は「似てまったく非なるもの」と言うことができます。

その違いはまさに、非二元(ノンデュアリティ/ネオアドヴァイタ)と呼ばれるか?純粋非二元(ピュア・ノンデュアリティ/アドヴァイタ)と呼ばれるか?に分けることができます。

そして、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、もちろん後者の純粋非二元(ピュア・ノンデュアリティ)の霊性の道なのだと言うことができます。

ちなみに、コースでは、一瞥体験、見性体験、いわゆる、ノンデュアリストたちが呼んでいる悟りの体験のことを「啓示体験」と呼んでいて、つまり、それは単に私たちが目的としているゴール地点を垣間見ただけであり、ゴール地点に到達したわけではないと捉えます。

コースは、あくまでも、その先にある「完全なる悟り」「悟りの完成」を目指しているスピリチュアリティ(霊性の道)であるということです。

それゆえ、コースは「ピュア・ノンデュアリティ(純粋非二元)」と呼ばれているわけです。

ときに、一瞥体験、見性体験、悟り体験といったものをコースのゴールとして捉えていたり、その体験を目指してコースを学んで実践していたりするケースがあったります。

コースは、そのようなスピリチュアリティ(霊性の道)ではないということを知っておきましょう。

それは、けっして一瞥体験、見性体験、啓示体験といったものを否定しているわけではありませんが、そのような体験をするしないは人によってそれぞれであり、つまるところ、コース学習者にとってそういうことはさほど重要なことではない、ということも知っておくと良いでしょう。


非二元と純粋非二元を識別する

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることの理解が深まっていくならば、

この世界の夢を見ているというこがどういうことなのか?
この世界で楽しもうとすることがいったいどういうことなのか?

その意味がますます明瞭になっていくといえます。

なので、この世界で楽しむ、この世界のもので幸せになる、という方向には向かわなくなっていくといえましょう。

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