これまでの古い(自我の)見方、考え方から脱却して、新しい(聖霊の)見方、考え方へとシフトしていくために
自我は四六時中いつも語りかけている
自我はひとときも休まることがありません。
自我は止むことなく、いつも語りかけてきているといえます。
思考(考え)の一つ一つをよくよく観察していくならば分かることですが、それが自我の声(思考)であることは明らかです。
ただし、普段の私たちは、まさかそれが自我の声(思考)であるとはまったく自覚/認識していません。
しかも、それが自分自身を傷つけ、苦しみをもたらすものだとはまったく気づいていないのです。
自我は、朝起きてから、四六時中、思考は活動し続けては、まるで休まることがありません。
ひとときでもじっと静かになることがありません。
それは起きている時間帯だけではありません。
夜眠っているときですら、(熟睡している時以外は、)別の夢を作り出して活動しています。
私たちは一日のほとんどをどれだけ自我と共に過ごしていることでしょう。
ふだんの私たちはそのことにすら、まったく自覚がありません。
「自我と同一化している」ということの意味は、まさにそういうことです。
そういったことは、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることが理解できるようになってようやく自覚/認識されていくものだといえましょう。
なぜ、私たちはコースを学ぶ必要があるのか?
というなら、まずはそれが第一の理由として挙げられるでしょう。
ようするに、コース形而上学(思考体系)を理解するようになって、正気の思考体系とはどういうものか?を理解するようになることで、ようやく正気ではない自我(狂気)が認識できるようになるということです。
そう、私たちがしていくべきことは、その自我に気づいていくこと、しかも、その自我を咎めずに見ていくことなのだということです。
つまり、それが、「聖霊と共に見る」「自我(幻想)を聖霊のものとに運ぶ」という実践なわけです。
聖霊と共に見ることによって、私たちは自我との同一化から脱却していくのであり、そのようにして、正気(の思考体系)に戻っていくのだということです。
それは、正しいものの見方、考え方を修得するということでもあります。
コースを学んでいる私たちは何をしていくのか?
これまでの古い(自我の)見方、考え方から脱却して、新しい(聖霊の)見方、考え方へとシフトしていくこと、それがコース学習者の私たちが目指しているものだということを覚えておきましょう。