悟ったフリ、目覚めたフリ、実相世界にいるフリをしないでください
謙虚にならざるを得ない
「悟ったフリ、目覚めたフリ、実相世界にいるフリをしないでください」
と、ワプニック博士がコース学習者の私たちに対して注意を促していたのがとても印象に残っています。
というのも、私たちはついそういうことをしますし、そのような勘違いを起こしてしまうといえるからです。
むしろ、コースの学びが深まり、進歩した神の教師になっていくならば、それとは真逆のスタンスになっていくと言えるでしょう。
悟ったフリや目覚めたフリどころか、より偉大なる生徒になっていくということです。
この世界を学びと訓練のための「教室」としていくならば、謙虚にならざるを得ません。
その謙虚さとは、自分は何も分かっていない、というものです。
そのとき私たちは聖なる瞬間に入っていくことができます。
奇跡のコース/奇跡講座を卒業するとは
時々、「私はコース(奇跡のコース/奇跡講座)を卒業した」と言う方を目にしたりします。
私の見解から正直に申しますと、そのようなことを自称する方ほど、コースが教えていることを理解している、ましてや訓練(実践)している、修得しているとはけっして思えないというのが本音でありまして、その言葉を疑わざるを得ません。
では、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を卒業するとは、どういうことを言うのでしょう。
そのためにはコースの形而上学というものをしっかりと理解している状態なはずです。
それだけではなく、当然、コースの思考体系を完全に修得(マスター)した状態だといえましょう。
その知覚も、もはや自と他の共通の利害のところがらこの世界を眺めているはずです。
それは、訓練なしには決してあり得ないことであり、しかも、そのプロセス(学びの階梯)というものを体現していっているはずです。
そのような訓練を実際に実践して、そして体現していっている者であるならば、けっして、「コースはそう容易い道ではない」という言い方をするでしょう。
ましてや、「テキストやワークブックをそんな真面目に学ばなくてもいい」などとはけっして言わないでしょう。
それは、コースを中途半端に分かったつもりになっている者たちの言葉だといえましょう。
ときに、そのようなことを言っている人たちもいたりするので、惑わされないように十分に気を付けましょう。
それは彼らを批判するわけではないのですが、コースに限らず、さまざまなスピリチュアリティにおいてよくあることです。
私たちはつい自我の精神力動に突き動かされていってしまうので、かくいう私も十分に警戒していかなければならないことだといえます。
とくに、本気で真理を探究しているのであるならば、当然のことだといえましょう。