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Photo by
yumikoyamanoue
これは思考を逆転させていく道である
泣きなさい。悲しみなさい。
泣きなさい。悲しみなさい。心配しなさい。不安になりなさい。
通常、私たちはそれらをネガティブなものとして捉えて、それらをなるべく小さくしようとしたり、抑圧、排除(隠蔽)しようとします。
じつは、そうすることによって私たちはそれらになおさらパワーを与えているいる、つまり実在化させているということを知っておく必要があります。
それによって葛藤が生じて、私たちはなおさら苦しむことになるということです。
ですから、コースの実践では、それらの感情、感覚のほうに歩み寄っていくことをしていくわけです。
それが「自我を咎めずに見る」ということです。
もちろん、そこには、コースの形而上学(思考体系)を携えて、ということを忘れてはなりません。
「聖霊と共に見る」「聖霊と共に自我を直視する」とは、そういうことの意味なわけです。
そうするとき、自我はそのパワー(力)を失っていき、それらがただの空想だったと分かります。
そのとき、葛藤(自己矛盾/戦い)が終わり、苦しみが消えるのを経験するでしょう。
それだけではありません。
自我とはどういうものか?自我は何をしているのか?そして、自分はその自我と同一化していたということがはっきりと認識されます。
それが、コースで「赦し」と呼んでいるものです。
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