
人生を思い通りにコントロールなんてできるのだろうか!?
だれもがみんな自分の人生と戦っている
だれもがみんな自分の人生と戦っているといえます。
人生をより良くしようということ自体、あるいは、より良き自分になろうとすること自体が「戦っている」ということです。
要は、これでいい、だいじょうぶ、と思えていないわけです。
かくいう私もそうだと気づきます。
この人生は自分でどうにかしていかねばならないと思っています。
この人生をより良きほうへと自分でコントロールしていかなければなならないと思っています。
おかしなものです。
自分は人生を自分でどうにかできると思っているわけですから。
自分は人生を思い通りにコントロールできると思っているのです。
それって本当なのでしょうか?
なんという傲慢さでしょう。
なんという勘違いでしょう。
そのようにしてこの世界を実在化させて、ひいては、この「自分」を実在化させているというのがよく分かります。
それはまるで撮り終えたドラマを観ながら、自分はそのドラマのストーリーを変えることができる、もっとハッピーなストーリーに変えなきゃ、と信じているようなものです。
そう、そのようにしてこの世界(人生のドラマ)を実在化させているだけでなく、ひいては、このドラマ上での「自分」を実在化させていると言うことができます。
そもそもが撮り終えたドラマのストーリーに介入することなどできるのでしょうか。
にもかかわらず、そうは思っていないわけです。
逆に、介入しようとすればするほど、自我がでっち上げたドラマのストーリー中に没入してしまうことになり、深刻さからもはや逃れられなくなるのが落ちです。
そう、このドラマから自由になる方法は、人生のドラマをコントロールすることなど自分はできないし、その必要はない、ということを理解する(悟る)ことだといえましょう。
それ以外に、どうやって自分の人生との戦いを終えることが可能となるというのでしょう。
そう、それだけが私たちが自分でコントロールできる唯一の機能だと言うことができます。