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なぜコースのイエスは私たちのことを「子供」「幼子」というふうに呼ぶのか

自分を傷つける玩具

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)のイエスは、この世界に居る私たちのことを「子供」「幼子」という言葉で表現しています。

霊的成長の観点からみるならば、私たちはこの世界の夢を玩具として手放せない子供/幼児だというわけです。

この世界のことに夢中になっている、それが私たちということです。

自分が誰で?どこにいるのか?何をしているのか?

私たちはそういうことをまったく忘れてこの世界の玩具にとりつかれています。

それだけではありません。

それが自分を傷つける玩具なのだということにすら気づいていないのです。

むしろ、この世界の玩具を手放すことにひどく抵抗しています。

だからこそ、イエスはコースを通して「私のところに来なさい」と、私たちが霊的成長していくように語りかけていると言うことができるでしょう。


あるがままを愛しなさい

コースのイエスからみるならば、明らかに私たちは霊的に「子供」「幼子」の状態なのだということです。

また、別の表現で言えば、私たちは夢を見続けている赤ん坊(神の子)だと言うことができましょう。

それは、この世界にいる誰もが皆そうなのだということです。

自分が誰で?どこにいるのか?何をしているのか?

私たちはそういうことをまったく忘れて眠りこけているのです。

それだけではありません。

夢から目覚めることをひどく怖がっています。

この世界の夢の中にいる誰もがそうなのです。

そして、ときに、その真実を一瞬だけ垣間見る者たちがいます。

彼らは夢の中に居る者たちに向かってその真実をしきりに伝えようとしたり、目覚めさせようとします。

でも、

覚者はこう云います。

「眠っている赤ん坊を起こす必要はありません」と。

ただ理解してあげなさい、

ただその声に耳を傾けていなさい、と。

彼らが目覚めていようが眠っていようが、あるがままを愛しなさい、と。


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