自我に良いも悪いもありません、自我は非実在だからです
「自我からの解放」「自我からの脱却」について
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)学習者の私たちは二元性を超えていくことを目指していると言うことができます。
つまりそれは、「自我からの解放」「自我からの脱却」というものを試みているということです。
ただし、「自我からの解放」「自我からの脱却」ということについて私たちが知っておかなければならないことがあります。
それは、自我を手放すとか、自我を消そうとすることによって成されるのではないということです。
自我に良いも悪いもありません。
自我は非実在だからです。
そうであるにもかかわらず、自我を手放そうとするなら、あるいは、自我を排除しようとするなら、もはや自我を実在化させていることになり、むしろ、自我を強化していることになるということです。
そう、コースの実践において私たちがしていくのは、たとえ自我であろうが、それが問題ではない、と分かっているところから見ていくことなわけです。
そうしていくことによって、私たちは自我から解放されていく、自我から脱却していくことになるのだということです。
実際、「自分は心(の決断の主体)である」ということを思い出して、そこから自我を見るならば、そこには何の問題もないことが分かります。
そのとき、そこにはもはや深刻さはありません。
そう、それが私たちがしていくことだといえます。
それは、自我に気づいているということです。
しかも、咎めることなく、ジャッジメントなしに、です。
言い換えるなら、それだけが私たちにできることだといえます。
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では、それを「聖霊と共に見る」という言い方をしています。
自我が問題なのではありません。
自我が何をしていようと、それが問題なのではありません。
それが非実在であるならば、無であるものが何の問題となるのでしょう。
それが「赦し」です。
自我(の思考体系)を、そして、自我がしていることを、その「赦しのまなざし」で見ていくこと、それが、私たちがしていく実践であるということです。