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帰り道が分からなかったら、帰り道について学ぶほかにありません


わが家を忘れた迷子

あるとき、ふいに、わが家の記憶を思い出す者たちがいます。

実相(ワンネス)であるわが家を一瞬だけ垣間見る体験をした人たちです。

それを、「一瞥体験」「見性体験」と呼んだり、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では「啓示体験」などと呼んだりします。

ただし、知っておかなければならないのは、それでわが家に帰ったわけではないということです。

コースの観点からいうならば、それは私たちが戻っていく最終地点を垣間見たにしかすぎないと捉えます。

たとえわが家を一瞬思い出したとて、真理を一瞬思い出したとて、再びこの世界の夢の中に戻ってきているわけです。

それが何を意味しているのか?というなら、相変わらず、わが家から彷徨い出ているということです。

つまりは、わが家の記憶を思い出しただけでは、それが私たちのゴールではないということです。

この分離(二元性)の世界を知覚しているのであるならば、相変わらず分離の夢を見続けているわけで、迷子であることには変わりないということです。

わが家は知っている、でも、どうやったらわが家に帰れるのだろう???

わが家への帰り道が分からないならば、相変わらず、わが家に帰れない迷子のままです。

この世界に居る私たちの誰もが、その迷子の状態だと言うことができます。

わが家への帰り道(方法)が分からなければ、帰る方法を探究するほかありません。

では、どうやってわが家へ向かえばいいのでしょう?

そう、その帰り道(方法)を示してくれている一つの霊性の道がコース(奇跡のコース/奇跡講座)であると言うことができます。

私たちはどのようにしてわが家から彷徨い出て、この世界の夢の中にやって来たのか?なぜ迷子になってしまったのか?

コースを通して、私たちはそのことについて学んでいきます。

その原因分離のプロセスを理解することで、そしてそのプロセスを辿っていくことで、私たちは帰ることが可能となるわけです。

コースは、そのような霊性の道(スピリチュアリティ)であるということを肝に銘じておきましょう。


通って来た道を戻る

なぜ、私たちはコースを学んでいく必要があるのか?

というなら、

私たちは今やわが家(天国)から彷徨い出ている状態にあるから、そして、私たちはそのわが家への帰り道すら忘れた状態にあるからである、と言うことができます。

それゆえに、私たちはわが家への帰り道(方法)について学ぶ必要があるのだということです。

たとえわが家(真理/最終地点)について知ったとて、その帰り道(帰る方法)が分からないならば、結局は、また迷子として彷徨うことになり、つまり、この世界の夢の中にまた入り込んでいくことになるだけということを覚えておきましょう。

では、どのようにして私たちは目覚めてわが家へと至るのでしょう?

いまここの平安にくつろいでリラックスしていれば帰れるというわけではありません。

瞑想をしていけば帰れるというわけでもありません。

いくら清らかな生き方をしていっても、いくら徳を積んでいっても、わが家に帰れるわけでもありません。

どうやったらわが家に帰れるのか?

そのためには、迷子(分離)に至ったプロセスを思い出すほかなく、そのプロセスを遡っていって、それを逆に辿っていく以外にないということです。

つまり、通ってきた道を戻っていって、わが家に帰るのだということです。

さらに私たちが覚えておかなければならないのは、この今もわが家に帰ろうとはせずに迷子のままで居続けようとする無意識の心の働き(精神力動)を知る(理解する)ことなしには、私たちはわが家に帰ることはできないということです。

つまるところ、私たちのわが家についていくら知ったとしても、つまり最終地点(ゴール)をいくら知ったとしても、そこへ至る道筋が分からないならば、相変わらず、彷徨い続けることになるだけということです。

ならば、わが家への帰り道について学ぶ必要がありますし、その帰り道を歩んでいく必要があります。

そして、コースは、その帰り道についてや帰り方について教えてくれている霊性の道だということです。

要約すると、コースは、迷子になっている私たちがわが家へと帰っていけるようになるために、丁寧に、やさしく導いてくれているスピリチュアリティ(霊性の道)であるといえましょう。


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