自分の本質に関する根本的課題と正面から向き合う準備はできていますか?
そのタイミングもすべて決まっている
人は、自分の本質に関する根本的課題と正面から向き合う準備が整うまで、この人生の中でさまざまな旅をしているといえます。
コースでは、それを「無益な旅」(T-4.In.3:1)と呼んでいます。
私たちは、それによってどうにかうまくごまかしながら本質的な課題から逃れ続けていると言うことができます、
その本質的な課題からずっと逃れ続けることができると信じているわけです。
ただ、それはけっしてうまくはいきません。
それぞれが必要なタイミングで誰もが本質的な課題と向き合うときが来ることになります。
その本質的な課題とは、
死とは?
なぜ生きるのか?
自分とは誰なのか?
というものです。
それらの課題と向き合うときというのは、二つのパターンがあるといえます。
一つは、本当に人生の絶望に行き詰ったとき。
もう一つは、何となく満たされることのない感覚を覚え続けることに嫌気がさして、真理の教えに惹かれていくときです。
きっかけは人それぞれです。
いずれにせよ、私たちは本質的な課題と向き合うことになっていることに変わりはないのです。
それが、いつなのか?はそれぞれのタイミングがあるということです。
つまりそれは、自分の心の闇の部分と必ず向き合わなければならないことを意味します。
ちなみに、コース(奇跡のコース/奇跡講座)を学ぼうとする者は、その闇を直視して超えていこうとする者たちであると言うことができます。
自分の心の闇と向き合おうという準備が整ったとき、それはコースを学ぶ準備が整ったときだと言うことができるでしょう。
言い換えるなら、もうどこにも答えを見い出せなくなったとき、行き場を失くしたとき、希望をどこにも見いだせなくなったとき、つまり、それはコースという霊性の道を歩む者にとっては、これ以上にない祝福だと言うことができましょう。