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私たちは自分自身についての真実を知ることをもっとも恐れている

私は、私であるものを知らない

この世でもっとも重大な謎というなら、

自分とは何者か?私とは何か?

というものだといえます。

自分は誰で?どこから来て?なぜここにいるのか?何をしているのか?

この本質的な命題こそが、この世界にいる私たちにとって共通して重大な謎だといえるのではないでしょうか。

この「自分/私」こそが、この世の何にもまして、もっとも神秘で不可思議なものだと言えないでしょうか。

そうであるにもかかわらず、私たちはそのテーマになかなか触れようとしません。

それよりも他のものごとを重要なものとしているのが、この世界にいる私たちです。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の観点からいえば、じつのところ、私たちはそのテーマに触れることを何よりも恐れているのだということです。

その恐れゆえに、私たちはこの世界のことに勤しんでいるつもりでながら、その恐れを見ないようにただ本質的なことから避けているだけなのだということです。

要は、私たちは自分の本性についての真理を知りたくないということです。

そのことについて、コースのテキストでも述べられています。


以下の声明以上に、世界が聞くのを恐れているものはない。
私は、私であるものを知らない。だから、私が何をしているのか、どこにいるのか、あるいは、この世界や自分自身をどのように見たらよいのかも、知らない。(T-31.Ⅴ.17:6‐7)

奇跡講座/中央アート出版社


自分とは何者なのか?自分が何をしているのか?どこにいるのか?

私たちはその真実を忘れてしまっているのはもちろんのこと、

それどころか、私たちは、

自分自身についての真実(真理)を知ることをもっとも恐れているのです。

コースのイエスはそんな私たちを十分に承知していて、その上で私たちを優しく導いてくれています。


だが、この学びの中で救済が生まれるのである。そして、本来のあなたである存在が、あなたにそれ自身について教えてくれるだろう。
(T-31.Ⅴ.17:8-9)

奇跡講座/中央アート出版社


この学びのプロセスを歩み進めていくならば、「自分自身についてのもっとも重大な謎」についての真実が解き明かされると、コースは伝えてくれています。

ならば、その真実を探求していくことこそが、この世の何にもましてもっとも価値のあることだと言えないでしょうか。

このコースという霊性の道に出会っておきながら、その道を歩まないということがあり得るでしょうか。

とは言っても、私たちはこの世の何にもまして真理を恐れているということも知っておかなければなりません。

私たちはこの自己矛盾を認識していく必要があります。

そのことを認識することなしに、この歩みを進めていくことはできませんし、ということは、「自分自身についてのもっとも重大な謎」についての真実が解き明かされることもないということです。


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