「人生を軽やかに楽に生きる」という言葉には十分に注意しましょう
人生を軽やかに楽に生きる!?
悟りとか非二元のスピリチュアリストたち、いわゆる、ノンデュアリストの方々が、「人生を軽やかに楽に生きる」というようなことを謳っていたりしますが、その言葉には充分に注意しなければなりません。
どういうことなのか?というなら、
「人生を軽やかに楽に生きる」ということは、「軽やか」ではない人生、「楽」ではない人生、それが良くないことというふうに捉えているということです。
むしろ、私たちが真に目指しているものとは、人生がどんなものであろうが、そういうものから自由になることなのではないでしょうか。
悟りや目覚めを求めている私たちは、真理に目覚めて、悟って、人生を軽やかに楽に生きられるようになりたいというふうに思っていたりするわけですが、実際、それは私たちが思っているようなものをはるかに超えたものだということを知っておくと良いでしょう。
「目覚め」「悟り」とは、人生が軽やかでなくとも、人生が楽でなくとも、そういうものとはまったく関係なく、何の頓着のないもっと自由なものなのだということです。
もしこの世界の夢から真に目覚めているなら、人生が軽やかであろうがなかろうがまったく関係ないはずです。
たとえ自分の人生が波乱万丈で最悪な人生のようであったとしてもまったく平安でいられるはずです。
それが、本当の「目覚め」「悟り」というものです。
そして、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)はそれを目的としているということです。
つまり、このコースは、人生を超えていくものであり、死をも超えていく道なのだということです。
だからこそ、「人生を軽やかに楽に生きる」みたいなことを言葉にするノンデュアリスト・スピーカーさんやコース学習者、コース・ティーチャーには十分に警戒すべきだということです。
要は、あなたは何を目的としているのか?ということです。
何のためにコースや非二元の霊性の道を歩んでいるのか?
この世界の夢から目覚めていくことを真摯に望んでいるのであるならば、ちがう目的へと向かわせるティーチャーには注意深くいる必要があるといえます。
真の覚者であるならば、むしろ、この世界の夢の中にいるかぎり、私たちは苦痛、苦しみといったものから逃れられることなどあり得ないと知っている(悟っている)はずです。
さらにいえば、真の覚者は、苦痛、苦しみといったものをもはやまったく違う見方(目的)で捉えていて、むしろ、苦痛や苦しみを受け入れているその境地を生きているはずです。
ようするに、真の覚者であるならば、「人生を軽やかに楽に生きる」ことや、ハッピーな人生、幸せな人生、といったようなことにはまったくフォーカスしていないといえます。
そう、そのような境地のものの見方(真の知覚)こそが、私たちが修得していくべきものであるわけです。
それは、差異を見ないということであり、すべてを等しく同じとして見ている知覚です。
そのとき、価値判断(ジャッジメント)というものがありません。
それを生きている者こそ、覚者(目覚めた者)たるこの幻想世界の中での存在の仕方だと言うことができましょう。
彼らは、もはや人生というものをまったく異なる次元から見ています。
そのようにして、すでにこの世界から自由になっているのが、覚者だといえます。
この世界の夢の中にいるかぎり、私たちはその知覚を修得していく訓練をしていくことが私たちに求められているということです。
つまり、コース学習者の私たちはそれを目指しているのであり、「人生を軽やかに楽に生きる」というようなことを目的とはしていないということです。
何度も申しますが、コースは、人生を、世界を、死を、それらすべてを超越していく霊性の道なのです。
人生が軽やかであろうがなかろうが、それらを超えていくスピリチュアリティ(霊性の道)であるということを忘れてはなりません。
もし仮に、この人生にそのような成果を求めるとするならば、もはや、この世界を、この人生を非実在とは知覚できなくなってしまうということをもっと学んでいきましょう。
例えば身体的に、精神的に軽やかだとか軽やかでないとか、調子が良いとか良くないとか、幸せに過ごせているとかそうでないとか、人生がうまくいっているとかそうではないとか、人生が楽しいとかそうではないとか、そこにフォーカスしてしまうことで、それが私たちを二元性の幻想世界に縛り付けることになるのだということです。
そう、「ポジティブな状態やポジティブな形態のほうが良きことである」と信じることによって、結局は、この世界の夢に囚われてしまうことになるということです。
幸せ、快適、うまくいっている、といったもののほうがイイことだと思ってしまうなら、そうでない場合、私たちはその影響を受けることになるということを私たちは学ばなければなりません。
人生を軽やかに楽に生きていようが人生がひどくつらいものであろうが、そういうものと「心の平安」は一切関係ないというのが、コースが教えているものであるわけです。
コース学習者の私たちは、そういうことを学んでいく必要があります。
そして、その在り方、存在の仕方を体現していくことが、コース学習者の私たちが目指しているものであるということをわきまえておきましょう。
自分の身に何が起きようが、自分の愛する人に何が起きようが
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