見出し画像

「聖霊に明け渡す」「聖霊にゆだねる」ということについて


聖霊とは?

コース(奇跡のコース/奇跡講座)でいう「聖霊」とはいったいどういうものなのでしょう?

コースでは、聖霊(ホーリースピリット)について教師守護者導き手というふうに述べています。

私たちが気をつけておかなければならないのは、私たちは聖霊について、つい、その言葉通りに解釈してしまうということです。

いわゆる、ハイアーセルフとか守護霊といった類いの存在として、つまり、自分とは何か別の高次元のガイドの存在というようなものとして「聖霊」を捉えてしまうということです。

でも、コースが教えていることを真に理解するようになるならば、それらの言葉はすべて象徴や比喩として表現されているのであって、「聖霊」というその意味合いも私たちが思っているものとはまったくちがったものであるということが分かってくるといえます。

そう、私たちが知っておかなければならないのは、「聖霊」とはたんに神の記憶を覚えている私たちの「正しい心」の部分を象徴するシンボルなのだということです。

「正しい心」とは、「神からの分離は起きておらず、私たちはこの今も一なる神の子である」ことを知っている私たちの無意識に解離してしまっているのもう一つの「心」の部分ことです。

それを、コースでは「聖霊」と呼んでいるということです。

加えて言えば、その「聖霊」をさらに、肉体だと信じている私たちにとってさらに分かりやすいように具現化したシンボル(象徴)を、コースでは「イエス」と呼んでいるということも知っておきましょう。

ようするに、聖霊もイエスも、私たちの内側の「正しい心」のシンボル(象徴)なのだということです。

言い換えるなら、自分の中で解離して忘れられている本当の自分だと言うことができます。

つまり、自我は「ニセモノの自分」であり、聖霊は「本当の自分」なのだということです。

ただし、私たちはそのもう一つのほうの「心」、つまり、「正しい心」(聖霊)の部分を解離して忘れてしまっているということです。

ですから、私たちはコースの学びと実践を通して、そのもう一つのほうの「心」つまり「正しい心」を思い出すことを目指しているわけです。

そして、それをコースの表現では、「聖霊と(完全に)同一化することを目的としている」というふうに言ってるということです。


聖霊に明け渡す、聖霊にゆだねる

では、どのようにしてそのもう一つのほうの「正しい心」を思い出しいくのか?というなら、

まずはじめに、私たちはすでに「正しい心(聖霊)」を拒絶して、もはや「間違った心(自我)」と同一化してしまっていることを自覚/認識することが求められているということです。

そうなってはじめて、私たちは「自分と思っている自分」や「自分の考え」を聖霊に明け渡す聖霊にゆだねることの必要性、重要性を理解するようになるわけです。

逆に言えば、私たちは今や自分が自我になっていることを自覚/認識しないままならば、聖霊に明け渡す聖霊にゆだねるというその実践の意味合いが歪曲され、間違ったものになってしまうといえます。

たとえば、こんなふうに、です。

聖霊にゆだねて(明け渡して)いけば、
この自分をこの世界の中で護ってくれる、、、
この自分の人生に平安をもたらしてくれる、、、
そして、
そうしていくならば、この自分を神のもとに導いてくれる、、、
そしていつか聖霊がこの自分をこの世界の夢から目覚めさせてくれるだろう、、、

とそんなふうに解釈してしまうことになるわけです。

いわゆる、この自分とはちがう別の存在の「聖霊」という存在がいて、その存在がすべてをやってくれる、、、というふうに勘違いするわけです。

でも、コース形而上学をしっかり理解していくならば、「聖霊」はまったくそういうものではないことも分かってきますし、むしろ、聖霊とはどういうものか?が明らかになっていくといえます。

ようするに、聖霊が自分を引き上げてくれたり、自分に何かしてくれるわけではないということです。

そのことについて、ワプニック博士は次のように云います。
「聖霊は魔法使いやサンタクロースなのではありません」と。

聖霊は何もしません。

聖霊は、むしろ、私たちが一歩下がること、退くことをただ待っています。

それに対して、どれだけ私たちは抵抗していることか!

どれだけ私たちは聖霊を拒絶していることか!

私たちはそのことを自覚/認識していく必要があるということです。

そうしてはじめて、自我との同一化から脱却していく道(訓練)がはじまるといえます。

言い換えるなら、それが聖霊を招き入れる訓練のはじまりだと言うことができます。

つまりは、(自我を)聖霊に明け渡す、(自我を)聖霊にゆだねる、という訓練はそういうものであり、それをコースでは「自我を教師とする代わりに、聖霊を教師とする」というふうに呼んでいるということです。


一歩下がる、一歩退くことの真の意味

上記に述べてきたことを整理するならば、

聖霊とは?
聖霊の役割とは?

そのことについて理解していくことが、私たちの実践をより明瞭なものにしてくれるということです。

それゆえに、私たちはコース形而上学の学びとその理解が求められているということです。

ここから先は

1,825字
コースをもっと深く理解していきたい方へ。コースの学びが進んでいくとどうなっていくのか?というテーマで、もりG自身が体現した実録レポートとして、一般には公開できないDeepな話が書かれているコラム集です。

コース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、非二元、真理、悟り、解脱を目指しているコース学習者のためのマガジン。

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?