
コースの学びをスムーズに進めていくための秘訣
コース学習から逃げ出したくなるとき
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びのプロセスにおいて、コースの学びがつらいと感じたり、恐れ、不安にかられるようなことが起きたります。
とくに、コースの学びが深まっていくと、抑圧、隠蔽していたネガティブな感情がわけもなく湧き起こってきたり、コース学習がイヤになったり、コースをやめたくなったりするというのは、よくあることです。
じつは、それが自我の抵抗(防衛)と呼ばれるものであり、コース学習者であるならば、誰もが経験することだといえましょう。
コースを疑いたくなる、コースを投げ出したくなる、コースから逃げ出したくなる、コースをやめたくなる、といったようなことは誰にも当たり前に起きてくるということです。
それが極端なものではないにしても、やる気がなくなるとか、飽きてくるとか、もう充分に学んだからもうコースはいいや、という想いや、他のことで忙しくなってきたからもういい、といった具合に穏やかなパターンで、自我の抵抗が分かりにくかったり、気づきにくかったりする例もあります。
コースの学びのプロセスにおいて人によってさまざまですが、大なり小なり、必ず、自我の抵抗と向き合うことになるということです。
なぜそうなるのか?
というなら、私たちはすでに自我と同一化した状態になっており、その状態のところからコースを学んでいくので、自我の抵抗(防衛/恐れ)がわき起こってきて当然なのだということです。
つまり、それが自我による真理に対する防衛なわけです。
それが湧き起こってきたとしても、けっして驚くようなものではないということです。
もともと私たち誰もの内側に否認、隠蔽されているものなわけで、それまで自覚されていなかった無意識の罪、罪悪感、恐れが顕在化しただけのことだということです。
言い換えるならば、コース学習者にとっては、そのときこそが学びのプロセスが本格的にはじまったときというふうに言うことができるでしょう。
もちろん、そこでコース学習を離れるということも十分にあり得ます。
それはまさに、コースを本気で学んでいくのか?それともコース学習を断念するのか?の分岐点だとも言うことができるでしょう。
ただ、学びが浅い段階においては、それが自我の防衛(自我の抵抗)だとはなかなか気づきにくいものです。
だからこそ私たちはコース形而上学をしっかり学んで、「自我の力動論」について理解しておく必要があるといえます。
自我というものについて、そして、自我の力動論について学んでいることによって、それが真理に対する防衛だと見抜けるからです。
そう言うことでいうならば、コースで何を学んでいくのか?というなら、自我との向き合い方について学んでいるのだと言うことができるでしょう。
(もちろん、それだけではなく、他にも私たちが学ばなければならないことはたくさんありますが。)
コース学習の歩みは、まさに、向かい風(逆風)に向かって歩んでいるようなものだと言うことができます。
むしろ、コースの歩みにおいて向かい風を感じることがないとしたなら、コースが正しく学ばれていないか?中途半端に学ばれているか?のどちらかだと言うことができるでしょう。
つまり、コースに対してネガティブな想いが湧き起こってくるということ自体が、その学びが進んでいる、つまり、光に近づいている証拠だと言うことができるわけです。
光が近づいてくると、あなたは闇へと急ぐ。真理の前で縮み上がり、あるときは、些細な形の恐れの中へ、またあるときは、正真正銘の恐怖の中へと逃げ込む。(T-18.Ⅲ.2:1)
ですから、コース学習の歩みにおいて、自我の抵抗が湧き起こってくることは当然のことなのだ、当たり前のことなのだ、と思っているほうが、スムーズにコース学習に取り組むことができるといえるでしょう。
そう、それがコースの学びをスムーズに進めていく秘訣だと言うことができます。