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ワークブックレッスン325 ~赦しの想念からもたらされるもの
すべては想念である
この世界をありのままに受け入れていくこと、この人生で起きることをただ受け入れていくこと。
それが、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)学習者の私たちがしていく訓練だと言うことができます。
それは、自分の見ている世界と闘わない、ということを意味します。
外側に知覚しているものすべてが内側にあるものの投影にしかすぎないと分かってくるなら、自分は何を外側に見ているのか?がますます認識されていきます。
すべて自分で意味付けをしているだけということが自覚されるようになっていきます。
投影が知覚を作り出す。あなたに見えている世界は、あなた自身がそこにあたえたものであり、それ以上のものではない。しかし、それ以上のものではないとはいえ、それ以下のものでもない。(T-21.In.1:1-3)
そうなっていくとき、もはや内側も外側もなく、すべては自分の心の中を見ているだけというふうな知覚になっていきます。
もっといえば、すべてが自分の考え(思考/想念)でしかない、ということが理解されていきます。
そのことについて、コースのワークブックでは以下のように述べています。
私が見ていると思うものはすべて、想念を反映している。(W-p2.325)
すべては想念(考え/思考)であるということ。
外側に他者がいるわけでもなく、外側で何かが起きているわけでもなく、すべてが自分の頭(マインド)の中で湧き起こっては過ぎ去っているだけということが分かってくるということです。
つまり、外側に見えているものにどのように反応しているか?
それが大事だと分かってきます。
もし、外側の世界に見えるものを攻撃しているとするなら、自分で自分を攻撃しているということですから。
そうすることは自分を傷つけることになるだけだと知るならば、その攻撃、裁きの想念(思考体系)をやめることをますます望むようになっていきます。
そして、平安、赦しの想念(思考体系)を選択するようになります。
それが、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)学習者の私たちがしていく実践なのだと言うことができます。
そして、そのことについて、ワークブックレッスン325で「わが家」という言葉を使ってこのように述べられています。
そして赦しの想念からは、優しい世界が出現する。神聖な神の子への慈愛に満ちたその世界は、彼が旅を続ける前にしばし休息できる暖かいわが家を提供する。そして、兄弟たちも彼と一緒に前進し、天国および神の道を見出すのを助ける。(W-p2.325.1:6)
「彼が旅を続ける前にしばし休息できる暖かいわが家」とは、今ここの平安のことです。
今ここにすでに在る平安を見出していくこと、そして、それを日々の日常で体現していくこと。
それが私たちの機能であり、私たちに求められていることだと言うことができるでしょう。