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普遍的な体験は可能であるばかりか必要である


私たちは真理について理解することなどできない

真理や非二元について探究する者たちにとって知っておかなければならないことは、

「私たちは真理について理解することなどできない」

ということです。

それは、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学習者である私たちにとって知っておくべきことだといえます。

個としての自分(自我)にとって、その全体である真理などわかり得ないということです。

それが何を意味するのか?

というなら、自分と思っている自分が真理を理解していくのでもなければ、その自分が真理に目覚めるのでもないということです。

コースの中にも、「真理について理解する必要はない」ということについて以下のように述べられています。


あなたは依然として、自分が理解するということが真理に対し、強力に貢献し、真理を真理となすと信じ込んでいる。だがあなたは何も理解する必要はないということを私たちは強調してきた。(T-18.Ⅳ.7:5-6)

奇跡講座/中央アート出版社


コースは、一元論のスピリチュアリティ、つまり、真理、悟り、非二元に至るための霊性の道であることは言うまでもありません。

それゆえ、それを求めて私たちはコースを学んでいるわけです。

でも、私たたちがコースを学んでいくうえで覚えておかなければならないことは、私たちが真理(神/愛)を理解するためにコースを学んでいくわけではないということです。

コースは、真理(神/愛)の経験へと導くものであるということです。


普遍的な神学は不可能だが、普遍的な体験は可能であるばかりか必要である。このコースはその体験へと向かうものである。ここにおいてのみ一貫性が可能となる。なぜなら、ここにおいてのみ不確実性が終わるからである。(C-In.2:5-7)

奇跡講座/中央アート出版社


それは体験的に学ばれていくものである

私たちはコースで何を学ぶのか?

私たちは何を学んでいく必要があるのか?

というなら、

私たちは真理(神/愛)については理解することはできませんが、そうではないものについて、つまり自我について、そして自我が作り出したものについて学んでいると言うことができましょう。

要は、私たちは幻想についてしっかり理解する必要があるということです。

それによって、私たちは真理ではないものを識別できるようになっていくわけです。

そう、コース学習者の私たちは、その識別法(方法/手段)を学んでいるのだということです。

つまり、コースの実践では、真理ではないものに対して、それは真理ではない(実在しない)と認識する(理解する/知る)ことをしていくということです。

別な言い方をするなら、幻想を幻想として認識していく、ということです。

それを、「聖霊と共に見る」「幻想を聖霊のもとに運ぶ」というような言い方をします。

つまり、それが「赦し」の実践だということです。

その識別が完全なものになるとき、それを「悟り」「目覚め」と呼ぶのだと言うことができるでしょう。

ようするに、実在しないものに対して、「それは実在しない(虚偽である)」と体験的に理解していくことが、私たちがしていくことなのだということです。

そうは言っても、むしろ、私たちは実在しないもに欺かれ続けています。

だからこそ、それは体験的に学ばれ、理解していく必要があるわけです。


普遍的な神学は不可能だが、普遍的な体験は可能であるばかりか必要である。(C-In.2:5)

奇跡講座/中央アート出版社


コースを実践していくとき、私たちは”普遍的な体験”をしていくことになります。

その”普遍的な体験”を通して、「すべてが虚偽である」という体験的理解を重ねていくのです。

いわば、それは悟りの体験のようなものと言っていいでしょう。

いわゆる、それが「赦し」「奇跡」というものであり、その体験を重ねていくことによって、真の知覚が学ばれ修得されていくことになります。

それは体験を通して学ばれ、理解されていくものであり、そして、それは可能なのだということです。

それは知的に学ばれていくものとはまったくちがうということを知っておきましょう。

というのも、私たちは、つい、真理、非二元、悟りといったものを頭で知的に理解したがる傾向があるからです。

だからこそ、コース学習者は、それを体験的に理解するためにはどのようなことをすべきか?について私たちは学んでいきますし、そのことについて学んでいく必要があるのです。

コースは、そのための道すじをはっきりと示してくれているスピリチュアリティ(霊性の道)だといえます。

提示されているその道を歩むのか?歩まないのか?

その選択が、毎瞬毎瞬、私たちに与えられているといえましょう。

このコースは誰しもが歩むような道ではありませんが、もしあなたがこのコースを自分の道だと感じるなら、このコースはあなたにとっては必修科目ということになるでしょう。


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