![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/78661630/rectangle_large_type_2_132b80ebe722c563726be670e8ae5bc4.png?width=1200)
コース学習者は社会の人間関係の中でどのように関わっていけばいいのか?
レベルの混同をしないこと
コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の学びと実践をしていく上でとても大事なことは、「レベルの混同」をしないことです。
いわゆる、「結果のレベル(形態のレベル)」と「原因のレベル(心のレベル)」を混同をしないということです。
コースは心のレベルのみにおいて実践されていく訓練であり、それは外側の世界の形態レベルとはまったく関係ないことを意味します。
もしそれを混同してしまうなら、コースがコースではなくなってしまい、何のためにコースを学んでいるのか??ということになってしまいかねません。
コースを学んでいく上で私たちが知っておかなければならないのは、このコースはあくまでも心(原因)のレベルについて述べられているのであって、その実践も心のレベルにおいてのみなされるものであるということです。
つまり、コースは行動に関しては一切述べられてはいないということです。
それだけでなく、行動(結果)は一切関係がないということです。
コースでは以下のように言明してあります。
”これは原因についてのコースであり、結果についてのコースではない。”(T-21.Ⅶ7:8)
何度も申しますが、コースの実践は心において訓練をしていくのであって、行動にて何かをするとかしないとか、そういうものとは一切関係ないということを肝に銘じておきましょう。
そう、コースの学びと実践においては、「形態のレベル」と「心のレベル」を混同しないことがとても大事なのです。
そのことはとても重要どころか、警戒すべきことであるといえます。
つまり、行動や形態はコースの実践とはまったく関係がないということが意味するのは、心のレベルと形態のレベルを分けて捉えていくということです。
逆に言えば、コースは日々の生活の中でも、普通に社会や人と関わりながら、学んで、実践していくことのできるスピリチュアリティ(霊性の道)であると言うことができるわけです。
普通でありなさい
コースを学んでいく上で、そして、コース実践していく上で、もっとも注意しておかなければならないことが、コースは形態レベルの行動面については一切述べられていないということです。
コースは心に関すること以外については一切書かれていないということを、私たちはわきまえておかなければならないということです。
もしそれを混同するならば、コースが教えていることとはちがったものとなり、もはや歪曲されたものとなってしまうからです。
もちろんコースの中には形態レベルのこととして読み取ることができるような表現や描写がされてあったりしますが、あくまでもそれらは比喩で書かれてあるということをわきまえておきましょう。
では、行動面についてはコース学習者はどのようにしていくのか?
というなら、
そのことについて、ワプニック博士は、
「普通でありなさい(Be nomal!)」
と云います。
「普通でいる(Be nomal)」とは、この世界や、この世界で経験していることを否定する必要もないし、この世界から逃避(厭世)する必要もないし、社会に属しながら人として、社会人として、社会のルール、常識に従って生きるということです。
つまり、
この世界で生きている人たちと同じように生きればいい、
ということです。
それが形態レベルにおける、つまり、この世界におけるコース学習者の生き方です。
別な言い方をするなら、コース学習者の私たちにとって、形態レベル、行動レベルにおいてしなければならないことなど何もないということです。
コースは、心(原因)のレベルにおける訓練(マインド・トレーニング)を私たちに求めているだけです。
このような行動をしなさい、これこれこういうふうに行動しなさいなど、そういうふうに捉えていたり、あるいは、人に語るとしたなら、それはもはやコースではありません。
コースは形態レベルにおいて何か行動をしていくようなものではない、ということを私たちは心しておかなければなりません。
そのことは、何度言っても言い足りないくらいです。
というのも、私たちは「自分は肉体(人間)である」ということを信じているがゆえに、形態(行動)のレベルにおいて何かをしていくことによって神に近づけるとか、それが神聖な生き方だというふうにいともたやすく勘違いしてしまうからです。
もし、「心(原因)のレベル」と「形態(結果)のレベル」の混同を起こすならば、せっかくのコースの歩みが、コースの歩みではなくなってしまうということです。
そうするなら、この世界を実在化させることになるだけでなく、分離を強めることになるだけです。
ようするに、コースを学ぶために、コースを実践していくために、今ある人間関係、状況、環境などを変えたり、そこを去ったりする必要など一切ないということです。
そのようなことをするコース学習者たちも、ときに、おられたりします。
それがいけないということではありませんが、そういうこととコースの実践はまったく関係ないということをわきまえていく必要があります。
私たちは、この世界においては普通であるべきです。
むしろ、目の前の人、もの、こと、それらと誠実に向き合いなさいと、ワプニック博士は云います。
なぜなら、今ある人間関係、状況、環境は、自らが学ぶためにこの世界を「教室」として自分で設定(設置)しているのだから、と。
普通でありなさい。(Be nomal!)
コースの学びや実践は「心のレベル」で訓練されていくものであるということをくれぐれも忘れないようにしましょう。
コースとはそのようなスピリチュアリティ(霊性の道)であるということを知っておくべきです。
そのことをしっかりわきまえておくことが、このコースの学びにおいては極めて重要です。
むしろ、そうでないならば、つまり、レベルの混同を起こすならば、この学びを進めていくことはけっしてあり得ないということです。