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この世界の中でもっとも価値ある生き方とは?

この人生でもっとも価値あるもの

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の観点から見れば、この世界はちょうど夜に眠っているときに見る夢と同じようなものだと言うことができます。

つまるところ、私たちはこの世界に登場する人物、起きる出来事、状況、存在するものそのすべては幻覚(夢)であるにもかかわらず、あたかもそれが現実である(実在している)と信じてしまっているということです。

さらに言えば、この自分だと思っている「自分」すらも夢の中の登場人物の一人にしかすぎないわけで、つまりは、この「自分」も実在しないわけです。

だとするなら、本当の自分は?いったいどこにいるのでしょう。

そして、その本当の自分とは?いったいナニモノなのでしょう。

この夢を見ている主体(の正体)とは?いったい誰なのでしょう。

と問いたくなるわけですが、じつは、それこそが私たちが真に探究すべきものなのだということです。

言い方を換えるならば、その真のアイデンティティー(真の自己)を思い出さないかぎり、その探究の旅はけっして終わることがないのだということです。

つまり、そうでないかぎり、この時空は幻覚(夢)であるにもかかわらず、その時空の中を彷徨い続けることになるということです。

それが、いわゆるスピリチュアルでいうところの「輪廻転生」と呼んでいるものです。

真理から言えば、その「輪廻転生」も幻想なわけですが、なにせ、真の自己である自分はこの今も眠り続けていて、幻覚(夢)を見続けているわけです。

自分が何者であるか?も忘れて、この(分離の)夢をでっち上げ、その夢の中で、夢の主人公であるこの個人の自分を自分だと信じ込んでいます。

さらには、その夢の中でさまざまな人物を登場させて、あらゆる出来事がこの世界で起きているかのように知覚させて、この世界の夢が実在しているかのように信じさせて、自分で自分を欺き続けているのです

私たちはそれを人生と呼び、その人生を現実として「私」は生きているつもりになっています。

なんということでしょう!

この世界が本当は実在しない夢(幻想)であるとするならば、あなたはこの夢から目覚めたいとは思いませんか。

正気であるなら、当然、目覚めたいと思うはずです。

でも、そんなふうに思わないのは、なぜなら、自分は夢を見ているだけということを忘れて、自分が「夢を見ている者」であることの自覚がまったくないからです。

まさかすべてが夢(幻想)で、この自分と思っている自分も幻想だなんてこれっぽちも思ってはいない、それが私たちの今ある状態です。

この「いま」も夢を見ている真っ只中の状態にありながら、その真実をまったく忘却してしまっているのです。

もしも、いまも夢の中にいるということが真実だとしたとして、そうであるならば、この夢から目覚めることがいかに偉大なることであるかがお分かりでしょうか。

そしてそのためにコースを学び、コースを実践していくことは、この人生でもっとも価値あることだとは思わないでしょうか。

コースの道を歩む者たちは壮大なる偉業を成し遂げようとしているか!そのことを知っておくと良いでしょう。

さらに覚えておかなければならないのは、私たちはただ夢を見ているだけではなく、その夢は悪夢なのだということです。

真のリアリティ(現実/真実/真理)は、このいまも天国の神との一体性(ワンネス)であるわけです。

この世界の夢は、それとは真反対の夢なのだということです。

でも、私たちは、天国よりも悪夢の夢を見続けることを選んでいるのです。

話を戻すならば、この世界の夢から目覚めること、つまりリアリティに目覚めることが、この世界のどんなことよりも、この人生の何よりも、この夢の中で幸せになることよりも、もっとも意味のあることだと言えないでしょうか。

私たちがこの世界にいる理由はそれだけのためだと言うことができます。

それ以外の目的でこの世界を生きるとするなら、それは不毛で無益な旅にしかならないと、コースのイエスは教えてくれています。


無益な旅に出てはならない。それはまさしく不毛なことだからである。(T-4.In.2:5)

奇跡講座/中央アート出版社


そう、このコースは、人生が不毛で無益の旅で終わっていくことに疑問を抱いた者たちにとって、その答えが明確に示されている霊性の道だと言うことができるでしょう。


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